エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 陰がなくなるとのっぺりする世界観 2021年2月3日

先日のエッセイで「陰を完全に消し去ってしまったら、世の中がちょっとのっぺりしてしまうよね」ということを文末に載せたら、見てくれた方からの反響がありました。

読んでくれている方がいらしたんですね。ありがとうございます。

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意味深な感じで、自分のまわりのことを少し見直しましたけどピンと来るものがなかったのですが、でも感覚的にはよくわかる気がします。私も日本人ですから(^^)

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少し前に、旧東海道あたりを歩いてきました。特に用事はないのですけど、歩くために歩くといった風体で。この旧東海道は、宿場町だったから当然表街道だったんですよね。その昔、といっても半世紀くらい前までの話ですけど、表通りには居酒屋がなかったんですって。呉服屋があったり、小間物屋があったり、大きな旅籠や食事処も大店が並んでいて、華やかな通りでした。じゃあ、居酒屋はどこにあったかというと、それは裏通りにありました。表の往来にくらべて半分ほどの道は、日が落ちる頃になるとそれは華やかな賑わいを見せていたんだとか。

「陰」と「陽」と書くと、うっかり優劣のようにも感じてしまうことがあるかもしれないけれども、きっとそうじゃない。昼は表通りで夕暮れ時から裏通りに華やぎが移ろいゆく、それもパチっと切り替わるのではなくて時間とともにグラデーションのごとくに移ろいゆく。そんな何色ともつかない色を伴うファジーな感じが、「陰」と「陽」の関係なんじゃないかと思います。

きっと通りだって、「ここから表。ここからこっちは裏」という境界線が曖昧だったんじゃないかな。道は物理的に違うんだけど、街の風情はファジーだったと思うのです。

いつの頃からか、区画整理とかなにやらでびしっと陰と陽の線が引かれて、その大半を「陽」にしようとしてしまったのです。陰の艷やかな華やぎを失った街は、なんだかのっぺりした色合いに見えてしまいます。

そうなるとグラデーションは見られなくて、そのうちに陰と陽が混在する表通りになると、昼と夜がごちゃまぜになったまちになるのかな。どの時間に訪れても、半分が閉まっている。

料理だって、同じだよ。いろんな味がそれぞれに輝きを持っているんだけれども、それがグラデーションのように溶け合って、自然に融合しています。そういうのがなんだか素敵だよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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