エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 静岡茶が素敵だよってはなし 2021年2月12日

あまり実感がないですけど、「日本茶といえば静岡」と言われるのってスゴイことですよね。

例えばさ、大根とかかぼちゃとかなんでも良いのだけれど。その生産量が日本一かどうかがニュースになるかというとなりにくい気がする。もちろんあるのかもしれないけれど。

日本国内なら、静岡茶と言えば通じるじゃない。こうやって文字を書いていても、「しずおかちゃ」は当たり前のように「静岡茶」と変換されるの。スマホでも予測変換で候補に出てくるんじゃないかしら。

それだけで、もうブランディングは成功していると言っても良いかもしれない。

こういう知名度は、ただ単純に品質が高いだけでも、生産量が多いだけでも成り立たないのが面白いよね。カツオのブランドとして有名な高知県だって、漁獲高が日本一なわけじゃないし。

たまたま、いまのところ生産量日本一は静岡県だけれど、この先どうなるかわからない。けれども、「静岡県=日本茶」という構図が簡単に崩れるとも思えないのです。

というところで、ブランディングがある程度成功していると仮定して思考を展開してみようと思います。ちなみに、ブランディングで成功しているというのは「日本茶といえば?」で連想されるのが「静岡」であって、「静岡といえば?」で連想されるのが「お茶」という、イコールの関係が結ばれていることというのが僕の解釈です。

さて、そうであるとして。日本茶産業に携わる人達が業界を盛り上げるためには、どんな取り組みをするのが良いのだろう。とうことを考えてみます。

現在静岡県では日本茶の生産量や販売量が年々低下していることが課題になっていて、そろそろ鹿児島県に抜かれそうだと騒いでいるのです。これについては茶業関係者だけでなく市や県の行政も一所懸命に考えているのだけれど。その取組の中で「○○(市の名前)茶」という名前をつけて、アピールするということはことはどうなのかな。ブランド力を独自に向上させることのように見えるのだけれど。

というのも「生産量が上がって、販売量が上がって、業界の業績が上向きになって街のみんなが幸せになる。」そんなことを理想としているように感じますけど、そこにちゃんと繋がるのかしら。

だってね。静岡茶と謳ったペットボトルは売れているのですよ。広く茶業界全体としてみればコンビニを見れば、冷蔵庫の一番広いスペースを締めているのはお茶だったりするの。コーヒーよりもお酒よりもずっと多い。なのに、お茶農家さんは儲かっていない。実はその構造のほうが課題だったりするのかもしれないよね。ブランド力の問題じゃなくてさ。

高品質の高級茶が売れないとも言われているけれど、高級なコーヒーは一定量の輸入があるし、コーヒースタンドでもずっと売れ続けてるのだもの。日本茶だって、ちゃんと適正価格で販売ができるんじゃないかな。

掛茶料理むとうでも、日本茶の販売をスタートしたところだけれど。良いものをちゃんと消費者に届けるという作業をしっかりやらなくちゃね。つまり「売る」ということを、もっと一所懸命に考えよう。

小さなお店だけれど、料理人の目線でセレクトした良質な日本茶を届けよう。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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