エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 鯛出汁とフードロス 2021年3月10日

「SDGsとは持続可能な商品開発である」と言われても、どうもピンとこない部分もあるのでもっと噛み砕いて身近なものに置き換えて出来るところから取り組みを進めています。まず、ぼくら飲食店が出来ることはフードロスをとにかく減らすこと。これは、もう遥か大昔から日本料理の世界では大切にされてきたことなんだよね。

 

修行中にレンコンの皮を捨てたら叱られたという話もよく聞く話でした。いつの頃からか「大量生産大量消費」に流されて、食材の端っこの部分を捨てるようになっちゃったわけだけれど。「めんどくさいからやってられない」とか「その手間の分の人件費が馬鹿にならない」とか、大人ぶった言い訳をしながらも心のなかでは「もったいないよなあ」と思っていたんじゃないかしら。ぼくらも魚の内蔵を捨てる、例えば毒だから食べられないはずのふぐの肝臓すらもったいないと思うことすらあるんだよね。毎日魚をさばいていると、数時間前まで生きていた命だから大切にしたい気持ちが自然と湧いてくるからね。もちろん、ふぐの有毒部位は適切に廃棄処理してますのでご安心を。

 

今日も、鯛の内蔵や骨を食べられるように加工した。内臓はキレイに処理してあげれば珍味にもなるし、刺し身にする時に剥がした皮も珍味にする。頭や中骨はこんがり焼いて、丁寧に身をほぐして今週の献立の一品に使えるように下ごしらえ。それから、身を取り除いた後の骨は昆布やネギと一緒に鍋でコトコト焚いて鯛出汁にする。こうしておけば、翌日の汁物にも使えるし、炊き込みご飯の出汁や具材としても使える。

ホントはこういう仕事をしていくと、予めメニューを決めて並べておくなんてことは難しいはずなんだよね。注文は絶対に偏るしさ。骨なんかは余って仕方ないと思うよ。だからね、献立は毎日変わっても良いんじゃないかと考えているし、実際に変えている。捨てないでしっかりと調理して「美味しくする」ということさえ出来れば、成立するんじゃないかな。実際に、古いグルメ本、たとえば「○○大全」みたいな江戸時代の本に出てくるようなお店は、そういうところが一般的だったらしい。

 

現代は江戸の頃とは違って冷蔵庫も冷凍庫もあるから、調理方法によっては数週間から数ヶ月の保存が出来るようになっている。だから、ホントなら昔よりもずっとフードロスが減っていなければならないはずだ。なんだけれども、そうなっていないのはいろんな因子が複雑に絡み合ってのことなんだろうけど。なんとかならないものかな。

最新の技術は目を見張るものがあるので、鮮度を維持したまま長期保存出来るようになっている。だから、品質の安定した鮪が一年中スーパーマーケットに並ぶわけなんだけど。困っちゃうのは、長期保存するためにはプラスチック原料のものがたくさん使われるということなんだよ。プラスチックのタッパーもそうだし、ラップもそう。なるべく安易に使わないようにはしているけれど、全く使わないというのも少々難しい。真空包装機なんかは、専用のビニール袋を使うことを前提に開発されているからね。便利だしフードロスの削減や食品の安全には大いに貢献しているのだけれど、一方でプラスチックの削減にはつながらないときている。

 

一息に解決することではないのかもしれないけれども、少しずつ進んだり揺り戻しがきたりして、それでも着実に進歩していくものなのかな。最近、趣味で歴史の勉強をしているので、人間の歴史って行ったり来たりしながら進むものなのかも、と思い始めています。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

-エッセイみたいなもの
-