エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 幻の美酒用意してます! 2021年3月11日

実は「静岡県は吟醸王国」と呼ばれているというのは日本酒通の間ではわりと知られた事実なのです。一躍焼津の磯自慢が全国に名を馳せたのは「2008年の洞爺湖サミット」で提供されたから。知らない人からすれば、なんで静岡?となったみたいだけれど、そうだよね。

昭和61年の「全国新酒鑑評会」で、静岡のお酒が21種類出品されたんだけど、そのうち金賞が10、銀賞が7で入賞率が80%超え!これが日本一になったのがきっかけだ。当時はかなりの衝撃だったらしいよ。その前年までは、静岡県が上位に食い込むこと自体が少なかったみたいだから。

まだ流通が発展していなかった明治や大正の時代には、静岡県だけでなく酒蔵がアチコチにあったのね。お酒を飲みたい人は全国にいて、でも流通させられないとか流通コストが高いとなれば当然各地に小さい蔵があるのは自然なことだった。それが、流通の発展に伴ってあれよあれよと言う間に小さい蔵は立ち行かなくなって、どんどん減っていくわけです。静岡県にかつて100以上あった酒蔵は、平成の頃には30程度まで減っていくことになったんだ。その中には、とても品質が良いけれど経営資源の問題や流通コストの問題で蔵を閉じた酒蔵もあったはずだから、惜しい話だよね。

それで、あまりにも酒蔵の数が減っていって、全国的に有名な酒処や大手の大量生産にはとてもかなわないという事態になって、静岡県の酒蔵の人たちが「さてどうしたもんか」ということになるのだけれど。誰が言い出したのか、「量でダメなら質で勝負」ということを言い出すんだ。これって、現代の令和の価値観で考えると普通に思えるけれど、時は昭和の後期のことだから感覚がぜんぜん違う。当時はありとあらゆる業界が「大量消費大量生産」に対応していくことで日本経済が動いていた。高度成長期からバブル時代にかけてのころの価値観が主流だった頃の話だ。その背景で、静岡県で生き残っていた31の酒蔵がその命運をかけて一斉に舵を切るというのは、なかなか根性のいる決断だったと思う。一つ間違えれば、さらに静岡県の酒蔵は壊滅的なダメージを受けていたかもしれないという中での決断だ。しびれる話だよね。僕は純粋にカッコイイと思っている。

「静岡吟醸王国」までには、静岡型酵母の開発や杜氏の努力、酒米の開発とかホントに興味がつきない面白いストーリーが満載なのだ。ここでは、とても書ききれないので聞きたいなという方は、むとうに来店されたときにでもそっと話を振ってみてください。いくつもあるエピソードからいくつかお話すると思いますよ。ガッツリ深く聞きたい方がたくさん集まったら、酒蔵のひとを呼んできますね。

ところで、明治のころに遠州全域に「美酒」として名を馳せた酒が掛川市にありました。その名を「花の香(はなのか)」。まだ徒歩や馬車が主な移動手段だった頃に、浜松から買いに来ることもあったという銘酒なのだけれど、それは昭和の時代をみることなく消えていった「幻の美酒」になってしまった。

それが、今から10年ほど前に復活したんだと言うから酒好きにはたまらないよね。酒蔵の子孫たちと掛川にある土井酒造の協力で、地元の一部で楽しむ分だけ作っている。今回、これをむとうで提供できるようになったのが奇跡ですよ。量が少ないからプレミアム会員だけの販売になるけれど、会員のみなさんはぜひ飲んでみて欲しいです。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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