エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「思う」を「考える」へ 2021年3月24日

「思う」と「考える」というのは、似ているようで全く違うプロセスだという話を聞いたことはありませんか?僕もなんとなく「かなり違うんじゃないかなあ」とは思っていたんですよ。いやホントにね。それが、この何年かでやっと意味がつかめてきたような気がするんです。

何か「良いアイデア」というのが不意にやってくる時があるじゃないですか。思いつくというより、向こうからやってくるような感覚。もう、心のなかで「俺ってスゴイんじゃない?」なんて思う瞬間なんですよ。ただ、そういう自己満足の幸福感はそう長い時間続かないことが多いんですよね。思いついた時は、ほとんど感情と同じレベルだから「考える」になってないの。だから、アイデアもそんなに大したことがない場合も多いよね。だから、「思う」ということがどういうことなのか。それを僕なりに一所懸命「考えて」みたわけです。

例えば、花を見てキレイだなと思う。これは、確実に「思う」ですよ。なんなら「感じる」と言い換えても良いかもしれない。そういうのが「思う」ということなんですね。だから、仕事のことでも一所懸命「あーでもないこーでもない」と「悩んだ」ところで、これはまあ「思う」の範疇から出ていないんじゃないかと。僕はそう思うんですよ。
じゃあ、「考える」というのはどういうことなんだろう。ということになるよね。最近は、「言葉を使って整理すること」なんじゃないかなあというところにたどり着きました。たどり着いたんです。ここ重要ですよ。「考える」って、言葉を使って事象を整理し続けていくと、自分でも「思って」もみない所に着地することがあるんですよ。僕の場合は「ひたすら書く」です。

僕ね。昔から「考え事」をするときのクセがあるんですよ。クセというか、まあパターンでして、一番思考が進む感覚があるからね。そのパターンには必要なものがあって「ガリ版」と「話し相手」の2つです。ガリ版じゃなくても、無地の紙であれば良いし、最近はiPadが便利ですね。もうとにかく、キーワードになりそうなものを書き出すんですよ。で、その時の思考を「声に出して話す」。別にアドバイスとかはあったほうが良いけれどなくても良いです。思考したそばからアウトプットしていくと、論理がおかしいところには勝手に違和感を覚えるから、その時に立ち戻って思考を遡るだけなんですね。
これが「考える」ということ。僕にとってのですが。もうずっとやってきたことで、今でも変わらないスタイルなんですけど、「思う」も大差ないと思っていたんですよね。つまり、お風呂でボーッと思考していても「考えている」のと同じレベルのことが出来るんじゃないかと。そんなわけないですよ。そこまで高性能な頭脳を持ち合わせていない。出来ると思っていた時点でちょっとイタいやつ。

いつもの「考える」のスタイルで、「考える」というのはどういうことかと「考えた」ら、こういうところにたどり着きました。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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