エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 思考方法のインストール 2021年4月7日

目からウロコの体験ってどのくらいありますか?ぼくはたくさんあって、それを体感した時に痛快な気分になるんですよね。

中学生だった頃の話です。数学の授業で、これから「二次関数」というものを習う一番最初の時間で、こんな問題が出されたんだ。
「宅急便の料金表は『関数』と呼べるのか。金額をY、重さをXとして考えよ。」
まるまると50分間の時間を使って、クラス全員で意見を出し合って証明をしなくちゃいけないんだけどね。実はこれが大いに盛り上がって、喧々諤々の論争になったんだよ。
これまでに、ぼくらは一次関数というものを習っていたからその知識を総動員して考えた。中には塾なんかで二次関数を勉強している子もいて、その知識までも動員した。例えばy=ax+nみたいな数式に当てはめてみようとしたり、関数グラフにしてみたり、いろんな角度から検証をするんだけどさ。どうにもならないんだ。
「一定の数式にならないから関数とは呼べない」
「いくつかの数式を使えば良いから関数として良い」
だとか
「グラフの線が途中で切れるから関数ではない」
「グラフを書くことが出来るのだから関数である」
だとかね。
どっちの見解もすごく面白くて、近くの同級生と話し合ってそれを発表して、それに反論があって。今でも覚えているくらい『おもしろい』授業だったな。

結局ね。50分が過ぎようとしている頃になっても、全員が納得できる結論にたどり着かなかったんだ。どっちの言っていることも「わからんではない」というレベル。
そして、授業が終わる直前になってやっと先生が一言。これで授業はぱっと終わりだったんだけどさ。
「yの値がxの値によって変動するから『関数』です。以上。」
一瞬にして空気が止まったよね。みんなでポカーンとしてたような気がするよ。
なんだよそれ。今までの時間は何だったんだよ。だけど、言われてみればそりゃそうだ。

ぼくらは誰も質問しなかったんだよね。関数というものの定義が何なのかをさ。だから、定義を言われた瞬間に、まさに瞬間的に解が出る。それでいて、ちゃんと関数というものの本質をドカーンと受け取ったわけだ。ともすると数式とか公式とか解法に気を取られがちな学校数学。特に受験を意識しだすとそうなるよね。だけど、関数の本質はここからだぞ。ということを一回目で打ち込まれちゃったんだよ。すごい授業だなあ。

ぼくらは、この授業の後からいろんな学科の勉強をするときに「そもそもの本質は?」ということを頻繁に問い合うようになったんだ。「まずは定義を確認しよう」とか「そもそも問題定義が違っていないか」とかね。それは今、おとなになって経営のことだったり、まちの課題解決だったりで大いに役に立っている思考方法だと思うんだ。

当時のぼくらが気が付かないでいるだけで、10年以上に及ぶ学生時代に「思考方法」をしっかりとインストールしてくれた先生方には感謝です。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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