エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 市町村合併のいま 2021年4月10日

市町村統合が全国的に流行した時代があって、掛川も15年くらい前に「掛川市」「大東町」「大須賀町」の3つが合併して今の掛川市になっています。ちゃんと合併したのは行政だけで市民意識は全然ひとつになれていない、というのはご多分に漏れずだね。全国どこでもあることらしいんだけど。

国民意識っていうのがありますよね。「私たちは日本人だ」という意識、ナショナリズムのことです。
ナショナリズムっていうのは、国民主権として国家がまとまるために「作り出された概念」なんだということを聞いたんだ。ぼくらは当たり前のように「日本人」だと思っているじゃない?だけど「日本人」という概念は明治時代に作られたものだったんだ。へえ、そんなに最近なんだ?と思ったんだけど。言われてみれば当然で、江戸時代は藩が単位だったわけ。それが明治維新の直前になって「黒船」という外圧がかかると、にわかに「日本人」になる。
ちょっとわかりにくいね。つまりはこういう変化なんです。昔は「我=掛川人」「彼=他地域」だった。この「彼」というのが、日本以外というものに置き換わったことで「我」が日本人にスケールアップしたっていうことです。よく、海外に長期滞在をした人が「前より日本人であることを意識するようになった」とか「日本をよく分かるようになった」とか言っていますけど、「彼」を知ることで「我」を相対化出来るようになったということなんじゃないかと思います。

さて、市町村合併の話です。未だに3市町が意識の上で一つのまちになりきれていない。随分と時間がかかっているのに「(旧)掛川は」とか「大東は」「大須賀は」と、市内のことだけど互いに「彼」として扱ってしまうクセが抜けないのね。もうクセなんだと思う。合併前の時間を長く過ごした年代は特にその傾向が強いかもしれない。だけど、市外や県外に長期滞在していた人はそんなこと無いんだよね。「我」が合併後の掛川市になっている。というのもね。つい最近こんな会話を聞いたんだ。「(旧)掛川の方から情報が降りてこない。大須賀地区がないがしろにされている。」という高齢の男性、それに対して「そうですか?ぼくも一応は大東エリアの出身ですけど、感じたこと無いです。」という20代男性や「わたしも掛川市民という意識が強いので、旧市町のしがらみとか感じないです。情報も割とフラットじゃないですか?」という20代女性。
おもしろいよね。ご年配の方が旧市町の名称で「掛川」「大須賀」と呼ぶのに対して、「○○エリア」と呼んでるでしょ。関東地方とか関西地方みたいな感覚なんだって。

いまもずっと続いている「オール掛川でひとつになろう」という行政や各地区の名士たちの声もわかる。誰かが言い続けることで変わることもあるしね。だけど、ぼくはあんまり内側のことばっかりに意識を向けているとちっともひとつにならないんじゃないかと思うんだよ。ナショナリズムと一緒でね。ひとつになろうって言っているうちは一つになっていないってことだもの。
もしかしたら、そのうち、あと10年か20年もすると自然と解消するかもしれないよ。20代よりしたの世代は分断していないからさ。僕らより上の人達は彼らに分断意識を残さないように、そっとしておくのもひとつの手段かもね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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