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今日のエッセイ 会席料理と懐石料理はおもてなしの気持ちから 2021年5月2日

会席料理と懐石料理が、今はゴチャゴチャの時代が続いています。いろんなサイトや本で違いを解説していますから、紹介だけ簡単にしておこうかな。

まず、会席料理の方がずっと歴史は古い。茶道の祖千利休の書いた書物にも「会席」という記載があるくらい。「懐石」は「茶道の茶会で提供される軽食」だから、千利休が茶道を確立させた後の食事文化なんだよね。ちなみに茶懐石という名称は、会席と区別するのがややこしいからという理由で「茶」をわざわざつけているだけ。まったく同じものを指している。だから、宴会場みたいな感じで料理を提供している料理屋さんが「懐石」と書いているのは変だよね。

「会席」は接待のための料理なんだけど。元々は料理屋さんで提供されるものじゃなかったんだよ。誰かお客様が自宅に来たときに「おもてなし」として出していた料理。今はあんまり聞かないけど、少し前まではどこのうちにも「普段遣いの器」と「来客用の器」っていうのがあったでしょ。それが「会席料理」の基本姿勢なんだよね。少しでもいい気持ちになってもらいたいという「おもてなし」ね。
今は「会席料理」といえば料理屋で食べるものだし、掛茶料理むとうも会席料理を提供する店として存在している。けれども、元々の形はそんなんじゃなかったんだって。そもそも料理屋っていうものが一般的になったのも近代。江戸もずいぶん時代が下ってからだもの。
作るの大変だし、そういうのは専門家に任せようってなったのかな。アウトソーシングだね。

どっちの「カイセキ」も基本はおもてなし。これは一緒。「主人」いて、家に招いた「客」に「いい気持ちになってもらいたい」と思って提供する食事ってところは変わらないんだよね。

ちなみに「料亭の主人」という表現があるけれど、これは自宅に招いていた頃の名残なんじゃないかな。料理長とか親方というのは、あくまでも職業を示すのだけれど。技能を表しているニュアンスがあって。「もてなしをする人」という意味で「料理屋の主人」とか「あるじ」と呼んでるんじゃないかと思うよ。

ぼくは何かと原点回帰で考えてしまうくせがあって。掛茶料理むとうの考える「おもてなし」も「自宅に招いたら」という想定なんだ。ほら、友達が家に来るってなったら「あの人はこういう味が好き」だとか「ゴルフの後だから」とか「お酒を飲むから」とか、そんなことを半ば無意識に考えながら料理をすることってない?遠くからいらしているから、地元のものを楽しんでもらいたいっていうのもそうだよね。

もちろん、全てが的中するわけじゃないけどさ。そういう心意気って素敵だよね。
それが、何回も来るような友達だといろんなこと、好みとかクセとかがわかってきて「おもてなし」の精度が高まる。そういうのが良いなと思って、プレミアム会員サービスを始めることにしました。

ビジネスとして考えると、非効率かもしれない。費用対効果という意味でね。だけど、料理の本質ってこういうところにあるんじゃないかと思ったら、こうなっちゃったんだ。

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武藤太郎

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