エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 日本酒とワインの考え方の違い 2021年5月14日

ワインと日本酒の違いを考えていて、そうしたら物事の考え方に違いがあって面白いなということを感じました。

ぼくは、日本酒も焼酎もウィスキーも好きだし、ワインも好きだ。好きなんだけれど、ワインだけは覚えきれる気がしないんだよね。「フランスのなんとかというワイナリーの何年ものは美味しいよね」とか、そういうことをかっこよく言ってみたいけれど、全く覚えられない。
だから、掛茶料理むとうで提供しているワインを仕入れる時はちょっと大変な作業になるんだ。同じワインを何本かまとめ買いして、その中の一本を飲んで自分の舌で確かめてみる。そのワインの在庫があるうちは良いんだけど、なくなったらそのワインに関する知識は不要になっちゃうんだよ。だって、全く同じワインを入手できる可能性が低いから。もう完全にキャパオーバーですよ。結果としてうちのラインナップは少ない。
しょうがないから、詳しくて信頼できる人に頼って選んでもらって、それを信じて仕入れるようにしているよ。だから、ぼくにワインのこと聞かないでね(笑)

とにかくぼくは覚えられない。というのもね。ワインって、作られた年によって味が変わるでしょ?それが覚えられないんだよ。しかも、ワイナリーの数がとんでもなく多い。日本酒の酒蔵も多いけど、ワイナリーは世界中にあるからね。どんだけ飲んだら覚えられるのか、気が遠くなる。というか、アルコール中毒になりそうだよね。え?吐き出さないよ。もったいないもん。

ちょっと面白いなと思ったのは、年によって味が変わるというところなんだ。ほら、日本酒って「なるべく年ごとの味の変動がないように」作るじゃない。作る度に味がぶれているようじゃ売り物にならないもんね。そういうのが料理人っぽいところでもある。お気に入りのラーメン屋さんが、毎日味がぶれてて「昨日は美味しかったけど、今日は全然美味しくないなあ」じゃ困るもんね。もちろん、多少の幅があるのはしょうがないよ。だけど、ある程度の範囲で収めないと仕事にならない。

これを「ぶどうの出来」「熟成の環境」ということで、全面的に許容しちゃってるのがスゴイよね。作る方も飲む方も、「そういうもんだ」と思っているし、「そういうところがいい」と思っている気がする。これは本当に興味深い。懐が深いという感じもするよね。

そうなると、造り手の個性というか性格でワインを選ぶしかないのかな。この人はこういう性格で、こんなワインを作りがちだから、これにしよう。ということで判断するんだろうか。だとしたら、ぼくでも覚えられるかもしれない。というか、普段料理屋さんに行くときは、そうやって判断するしね。人の名前までは知らなくても「あの店はこういう傾向だ」ということを知っていて選ぶことが一般的だもの。

掛茶料理むとうも、しょっちゅう味を変える。食材の品質や状態で味が変わっていくこともあるけれど、どちらかというと能動的に変えることのほうが多いかな。その理由のひとつには、作っているぼくらが飽きてしまうということもある。だけど、お客様の性格や疲れ具合、その日の気温や前後の変動に合わせて、積極的に変えるんだ。同じ料理でも味付けの加減を変える。そうするとね。食べるときに「いつもの味」に感じるから不思議だよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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