エッセイみたいなもの

今日のエッセイ お吸い物の具だけ食べる? 2021年5月20日

会席料理といえば、ひと皿ずつ料理が出てくるというのが一つの形式です。どんなものが何皿提供されるかは、料理人の志向やその時々の献立で違うんだけどね。この中で「花形」と言われているのが「汁椀」だ。コースのかなり序盤で登場して「汁椀」「椀物」「お椀」という表現をされるんだけど、厳密には「汁椀」ということになるかな。

平成の後半辺りからかな。ちょっと不思議な現象が起き始めていて、その現象は今も時々起こる。というのは「中身の具は食べるけれど汁を飲まない」お客様が時々いらっしゃるんだ。
掛茶料理むとうだけなのかと思ったら、他のお店でもよく見かけられるらしいのね。観光地の旅館はうちよりも頻度が高いんだって。「え、どゆこと?」ってなる。だって、汁を飲むということがメインの料理だもんね。

他の料理で例えると、洋食のスープで具は食べるけどスープを飲まないとか、カレーの具だけ食べてルーの部分は無視とか、ってことになるのかな。こういうのって、両方一緒に食べるものじゃない?だから、汁物ってそういうことなんだよ。って解説してみたけど、知っている人には当たり前のことだよね。

食事の序盤に汁椀が提供されるのには、いくつかの理由があるって言われている。
その一番は「お腹に優しい」だろうね。「唾液や胃液の分泌を促す」っていうことなんだけど、空腹時にいきなり固形物を食べたりアルコールを飲んだりすると、胃壁に負担がかかるんだよね。だから「液体なんだけど味のついているもの」を先に体を通過させてあげると、負担が少ない状態で食べる準備が整う。スポーツの前のウォーミングアップと同じだよ。これは、洋食のスープも同じ理由で序盤に提供されるよ。
汁椀って、優しさで出来ているんだね。

あとは、「今日のお出汁はこんな感じですよ」というメッセージ。ワインを開けるときにちょっと試飲したりコルクの匂いを嗅いだりするような感じなのかな。それから、季節感の演出ね。特に香り。他の料理に比べても特に香りを感じやすい料理だから、春なら春っぽいなと感じられる香りを演出する。そういうストーリー上の理由もあるよ。

こういうのを知っていて当然だよね。というのは、ちょっといただけない。ある程度は知らない人がいてもしょうがないと思う。現代でこそちょっと手を伸ばせば食べられるけれど、昔々は会席料理を食べることが出来る人が限られていたよね。江戸時代なんかを想像するとわかるんだけど、それなりに裕福な人じゃないと無理だもん。で、そういう「一部の人達だけが知っている常識」という側面もあったんじゃないかな。
だから、料理を紹介するときも「知っている前提のセリフ」になっていることが多くて、「鱧のお椀でございます。」とか言っちゃう。「お椀」とか「椀物」は、汁物だけじゃなくて煮物とか蒸し物みたいな料理も含まれるのにね。ちょっと、見ればわかるでしょ、というニュアンスがあるかなあ。

ということで、ここ最近は「○○のお吸い物です。」と紹介するようにしているんだ。ホントに細かいところだし、バカバカしく感じる人もいるかも知れないけれどね。せっかくだから「楽しみの要素」は全部知っていてもらいたいじゃない。好きも嫌いも知っていてはじめて判断できることだから。知っていて、それでもなお「汁は飲まない」というのであれば、それは好みだから。作り手としてはちょっと寂しいけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。些細なことだけれど、意外と効果あるんだよ。食事の楽しみ方の自由度がどんどん広がっていくといいなあ。

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武藤太郎

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