小さな子供と一緒に生活をしていると、なんともたくさんのことに気付かされます。またもや2歳の娘の話なんだけどね。
子供が「何かを学んでいく過程」は、大人になっちゃったぼくらとはずいぶんと違うんだよね。子供が違うんじゃなくて、大人になるにつれて変わってきちゃったんだから、ぼくらの方が違うのかもしれない。みんなかつては子供だったんだから。
料理が上手にできるようになるために、たいていの場合「基本」というものを学ぶ。出汁をとるときには、こうやるのが基本。なぜならばアクが出るぞ、だとか匂いが強くなるぞだとか、そういう理由がついてくる。煮物なんかの味付けのときは、塩を入れるのは最後にする。なぜならば角が立ったキツイ味になるから。
基本を学ぶ時にはなにかと理由というものがついてきて、それを理解しながら学びをすすめるということになるよね。
料理だけじゃなくて、大抵の学問は「ロジックで系統立てて理解していく」という手法をとることが多い。
確かにその方が「理解した」という状態までの時間は短いよ。帰納法的に経験を積み上げながら理解をしていくよりも、圧倒的に早い。それから「覚える」「記憶する」という段階に入っていく。とても理にかなった学びの手順だと思う。
学校で習う英語の授業だって、この手順で進んでいく。単語には主語や動詞、名詞といったような区分けがしてあって、文法の組み合わせにもルールがあって、というようなロジックを先に学ぶ。それから、必要な単語を覚えていく。英語の歌を歌えるようになるときだって、だいたいは歌詞カードを見て練習するでしょ。カタカナで読み仮名をふったり、その単語の意味を調べたり。なるほど、そんな意味の歌だったのかという「理解」をしながら覚えていく。
これがさ。うちの娘ときたら、全く逆の順番で学んでいくんだよ。
とにかく、何でも良いから「覚える」をやっちゃうのね。テレビから流れてくる歌を、いつの間にか覚えて口ずさんでいたりする。もちろん、その歌の意味や感情や情景なんてものは無視だ。まったく理解なんかしていないよ。そもそも文字も読めないし、理解できるほどの経験もない。なのに、恋愛を歌った歌を口ずさんだりするんだよ。面白いよね。たまに大人も知らない英語の歌詞を歌って、こっちのほうが困ることだってあるもんね。理解なんて二の次で、先に「覚える」をやってしまう。
「何が何だか分からないけれど、とりあえず覚える」をやって、覚えたことは「後から理解する」というのが彼女たちの「学びの手順」なんだね。聞いたことは聞いたままに覚えておくし、見たものは見たままに覚えていく。というのは大人にもあるけれど、子どもたちに比べると少なくなっているような気もするよ。
どちらの手順が良いのか。というのはあんまり意味がなさそうだ。学ぶ内容によって適した手順というものがあるんじゃないかな。というくらいに思っている。ただ、ちょっと気をつけなきゃいけないことがあるなとは思う。それはぼくら大人のことなんだけど。ぼくらも子供だった頃は「覚える」の次に「理解する」をやっていたわけで、それが染み付いちゃっているんだと思うんだよね。そうすると「理解する」が出来た時点で学びが完了したような気になっちゃうことがあるんだよ。でも、ホントは順番を入れ替えただけだから。「理解した」ら「覚える」までたどり着かないと、学びは完結していないんじゃないかな。ほら、身につくとかつかないとか言うでしょ。
ああ、そうか。学生時代に学んだことを思い出せなくなっているのは、もしかしたらこれが原因のひとつなのかもしれない。「覚える」「身に付ける」までたどり着いていなかったんだ。というような気がしてきたよ。
今日も読んでくれてありがとうございます。料理が上手な人はロジックもしっかりしているけれど、覚えているレシピの数も多いよね。やっぱり。