エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 宗教とお酒の親密な関係を考えてみた 2021年6月29日

世界中の色んな場所で、独自に生まれた「お酒」。これが、どういうわけか宗教と深い因縁を持つようになるんだよね。それも、互いの影響とは関係なく。ある宗教では儀式に使われるし、一方で飲酒を固く禁じていたり。なぜ酒と宗教がこんなにも深い関係になっているのかを、勉強しつつ独自の解釈で読み解いてみようという試みです。
ぼくの解釈も含まれる内容なので、ところどころは参考までにということで。

前回までに「神仏習合」があって、「仏教なのにお酒がOK」という状況ができたって言ったよね。これが違和感でさ。いわゆる三大宗教って、飲酒を禁止しているか、禁止じゃなくても飲まないようにすべきという方向なんだよね。だけど、神道では重要な役割を持っている。別に「飲め飲め」と言っているわけじゃないけどさ。同じ「宗教」なのに不思議だなと思って。
あ、宗教という概念は近代のものだから「当時は現代の感覚でいう宗教だと思っていなかった」のは理解した上で、面倒だからここは「宗教」で統一します。って、この意味が分かる人は少数派かも。

さて、神道は古代宗教のひとつだ。発生が最早わからないくらい古い。哲学体型や人類の生き方を説くでもなく、物語をベースにしたものだ。同じような古代宗教と言えるのが、古代エジプトの神話信仰だったりギリシアの信仰だったりする。ビール発祥の地、メソポタミア文明には個人神という守護霊的な神様への信仰があった。アステカ文明もそうだったかな。
この古代宗教は、みんなお酒が重要な役割を果たしているらしいんだ。主に「神様に捧げる」ものとしてだけど、人間も神様と一緒にお酒を飲む行為を神聖なものとしていた。ここが面白いよね。世界中のバラバラの地域で生まれた宗教で、やっぱりバラバラに生まれたお酒が「神に捧げる」儀式に使われている。しかも、相互に交流していた様子もないんだよ。もしかしたら、人間の遺伝子に組み込まれたプログラムなんじゃないかと疑いたくなるね。

この論拠を明確に示した書籍は見つけられなかったんだけどね。興味深い資料を見つけた。2011年3月にテキサス大学神経生物学者の森川氏が「The Journal of Neuroscience」誌上で発表した論文ね。この中でとてもおもしろいなと思ったところを、ざっくりと掻い摘むと「アルコールを摂取した結果放出されるドーパミンの影響で、潜在意識の学習記憶能力が活性化する」って言っているんだよね。潜在意識が記憶したことだから、シラフのときに思う出そうとしても全然思い出せないんだけど、ふとした瞬間にパッと浮かんでくることがあるような記憶だ。「昨日は飲みすぎて覚えていない」と言っても、実は潜在意識がちゃんと覚えているってことなんだね。
ここでもう一つ大切なことを言っていて、「ドーパミンは快楽も伴うが主に学習伝達物質として作用していて、この時に記憶されたことは『繰り返すべき価値のあること』として記憶に定着する」ことが示唆されている。つまり、飲酒時にやってる行為はまたやったほうが良いってことになる。これは酩酊状態でなくても同じ事が起こるらしい。つまりほろ酔いでも同じだよと。

この作用が相まって「飲酒は常習化される」とも言えるんだけど、同時に飲酒時に行ったことも『繰り返すべき価値のあること』として常習化されるって。例えば、「友達と居酒屋で話す」と「お酒を飲む」がセットで潜在意識に記憶されると、その行動全てが『繰り返すべき価値のあること』となるってことだね。

これを、宗教儀式に置き換えてみると、なんとなく輪郭が見えてくるような気がするんだよね。これぼくの私見ね。歴史解釈とか人類学的には全く価値がないから。そこはあしからず。
森川氏の論文を正とするならば、このロジック自体は成立するような気がするんだよね。儀式と宗教が結びついたきっかけについては語ることが出来ないけれど、儀式に定着してくことの論理となる可能性を持っているとは言えるね。

今日も読んでくれてありがとうございます。誰かが「本当の意味でお酒を楽しんでいない」と言っていたけれど、味じゃなくてその周囲の環境をまるごと楽しんでいる意味でそうかもね。アルコールの作用で環境を楽しんでいるのなら、広い意味でアルコールを楽しんでいるとも言えるのかなあ。アルコールとお酒を一緒に考えたらダメか。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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