昨日までは、世界のお酒の発明から日本での酒文化が一般化するところまでを書いてきました。このあとの時代から現代に至るまでの「お酒と料理と社会」の関わりが面白いんだけど、その前に世界の話をしようと思います。
お酒において、メソポタミア文明を発端とした文化圏(ざっくり中東から欧州)と黄河長江文明を発端とした文化圏(東アジア地域)では、お酒を飲む環境が大きく違うんだよね。まさに、文化というものが。
それが「ハレ」と「ケ」の考え方。
範囲が広いと想像しにくいから、ここは便宜上「日本とフランスやイタリアなど」くらいの感覚で話をすすめることにしようか。
まず、「ハレ」と「ケ」の解説ね。知っている人は読み飛ばしちゃってください。
最近は「ハレノヒ」というと「晴れの日」と記載する広告なんかもあって、おかしなことになっちゃってるんだけど「ハレ」が正しい表記ね。天気とは無関係だし、晴れ晴れとした感じだからというわけでもない。「ハレ」は「通常ではない」ということを示している言葉なんだ。つまり「異常」ね。なんの変哲もなく繰り返される平穏な生活が続いている「なだらかな状態」を「ケ」と表現することの対義語と思えばなんとなくわかるかな。言いたいことは「ハレ」はお祝い事かどうかは関係ないってことなんだよね。
もちろんお祝いも「ハレ」だし、逆に誰かが亡くなった日も「ハレ」。田植えも「ハレ」だし、収穫も「ハレ」だ。この発想は古代日本人が稲作を始めた頃から生まれたものらしいよ。日常の生活の中に発生する「特異点」を「ハレ」として認識していたんだって。「ハレ」こそが神様とつながるポイントになるから。
さて、この前提を踏まえてお酒の話だよ。日本における「飲酒」は基本的に「ハレ」のときだけだったんだ。ということは「ケ」の時は飲まない。実は晩酌のような日常の飲酒は、江戸後期から明治期に一般化した風習らしいんだよ。日本の民俗学者柳田國男は「一人酒というのは明治大正になって発達した新しい風習である。元々お酒というのは沢山の人が集まって飲むものだし、祭りで神様と人間が一つの瓶に集まって飲むものだ。」というようなことを残しているよ。
少し前に宗教とお酒の繋がりに触れたけれど、神様と人間が集うという感覚が興味深いよね。ここは古代宗教はだいたい一緒だ。お酒でも麻薬でもとにかく目一杯精神を酔わせる。そうすると、自分と相手との境目がなくなって一体になったような錯覚に陥る。そうやって人間だけじゃなくて神様と一体になることで祈りを捧げたり交信を行う。これが、ある意味「ハレ」の起源だ。だから「ハレ」のときにしか飲まないし、飲む時は酩酊するまで飲むのが本流だ。
めっちゃ飲む。そのくせ、普段は全然飲まない。だからアルコール中毒みたいなことにはならない。というのが「ジャパニーズSAKEスタイル」だったんだね。
ちなみに、これを儀式的に行うようになったのが宴会ね。一つの盃をみんなで回し飲みするスタイルだから、自分の自由に飲むことは出来ない。ぐるーっと一周することを「一献」と言って、上級になると「三献」にまでなる。お酒に合わせた料理は「一献ごとに、一膳」だから、三献となると三膳まで提供されることになるね。これが本膳料理や会席料理に発展していく。一献ごとの肴を書き留めたものを「献立」という。
これに対して、ヨーロッパは事情がちょっと違う。
「ハレ」のときも飲むけれど、とにかく普段からお酒を口にしている。それどころか、子供であってもお酒を飲むのが普通だったんだよね。さすがに現代ではそういうことはないけれどね。
これは、水質の問題がある。日本はとにかくきれいな水が豊富なんだよ。平均降水量も多いしね。だから、現代のような水質管理システムがなくても普通に井戸水を飲むことが出来た。だけど、フランスなんてほとんど水が飲めない。下手に飲むとお腹を壊すくらいの水質だったんだ。だから、お酒を飲む。
というと、マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいい」みたいな話に聞こえるかもしれないけど、そういう話じゃなくてさ。水が悪すぎてアルコール殺菌しないと飲めないという事情があるんだよ。だから、ワインやビールを水で割って常飲していたんだって。
もう一つ理由がある。小麦文化ということだ。パンね。米と比べるとパンは栄養素が偏っている。古代はなかなか野菜を手に入れらなかったし、肉だってめったに食べられなかった。それこそ肉なんて「ハレ」の日だけだった。だから、ミネラルやビタミンが不足しちゃうんだって。その不足した栄養素はビールから摂取していたらしいんだ。ビールって完全発酵食品なんだよね。現代は加熱処理したり濾したりするけど、当時は全然違うから酵母パワーを思いっきり摂取することが出来たんだ。
今日も読んでくれてありがとうございます。これが完全に食文化に影響しているんだよね。日常からお酒を飲む歴史を持つか、それとも特別な時に飲むか。毎日飲むからこそ、ハレノヒのお酒の位置づけが薄れていくということもあるのかもね。