エッセイみたいなもの

今日のエッセイ ワインの始まりはフランスじゃないよ 2021年7月4日

いい加減に超古代の話から離れないと叱られそうです。今度はワインの話ね。

ワインに使われたブドウの原産地はコーカサス山脈の麓辺り、現代のジョージア(黒海に面した国。トルコの隣ね)で、ここがワインの発祥の地だとも言われているし、他の説ではメソポタミアのシュメール人がやっぱりワインを発明したとも言われている。だけど、ブドウの生育環境を考えるとやっぱりジョージアが発祥の地なんじゃないかと思うよ。
ここでのワインは樽じゃなくて、素焼きの大かめ「クベブリ」で発酵される。この「クベブリ」は首まで地中に埋められていて、何世代にも渡って使われるんだって。木樽になる前の作り方なんだね。赤ワインみたいに皮の部分も種も、更に軸の部分も一緒に漬け込むんだけど、どういうわけか透き通ったオレンジ色の白ワインになるんだって。これは一度飲まなくちゃね。
これが紀元前6000年で、少しずつ広まっていってビールの発祥の地メソポタミアやエジプトに伝わっていった。この辺りはホント古すぎて正確なところは分かっていないんだけど、紀元前3000年のエジプトの壁画にワインが描かれているから、伝わってきたということなんだろうね。メソポタミア地域は古代から交易の中心地だから多分経由したんだろうなあ。ということは、トルコ辺りにも伝わっていたのかもね。イスタンブールとか。このあたりは、ごめんグーグルマップを開いてみて。地理感がないと全然わかんない。

日本にいると感覚が違うから理解するのに時間がかかるんだけど、国が違うといっても陸続きだからね。九州地方の稲作が自然に東海地方まで広まった。というのと同じような感覚でズルズルと広がったんだけど、なんせ広いから時間がかかったよって話だと思っておけばいいと思う。

ギリシアがアテネとかスパルタとかのポリス(都市国家)が成立した頃には、まるで自国産業のようにワインを作っていたみたいね。どうやら、ギリシア近辺はブドウの栽培に適した気候らしい。これは紀元前500年くらいかな。ペルシア帝国っていう巨大な帝国がイランにあって、ギリシア国家とバチバチに戦っていたし、貿易もしていた。実はこれがメソポタミアだからずーっと交流してんだね。
時は流れてユリウス・カエサルの時代。こっちはローマ帝国の有名人ね。始めの頃はどうやらローマ近郊ではワインは作られていなかったみたいだけど、近くのギリシアと貿易をすることでワインを仕入れていたみたい。そのうち、イタリアは気候がいいからブドウが作れるだろうってことで、生産が始まるんだね。なんせこの頃のギリシアはワインでガッチリ儲けていたから、ローマとしては自分のところで生産したほうが安くなるもんね。
つまりは、それだけワインの人気が高かったということだ。

そういえば、この時代のフランスはガリアと呼ばれていて、ド田舎だ。だから、ワインどころかブドウを栽培する技術もなくて、ガリアの上流階級の人々はわざわざローマからワインを輸入していた。現代のフランスがワイン大国であることを考えると、ちょっと不思議なくらいだね。ローマから大量に船で運んで、ガリアに到着する頃には価格が100倍にも跳ね上がっていたとか。それでも戦士たちは戦場に赴く前にワインを飲み干して、酔った勢いで戦いに行ったらしい。酒パワーって凄いね。

ちなみに、カエサル大将軍の功績はめちゃくちゃ大きい。歴史上というかワインにとっても偉大だった。この人、ずーっと遠征ばっかりしてるんだけど、その間アチコチにブドウを植えてワインを作らせているのよ。ブルゴーニュとかシャンパーニュとかね。今、フランスで超絶有名なワインの産地になっているよね。フランスがワイン大国になったのは、ユリウス・カエサルのおかげだといえる。

古代ギリシアの詩人エウブロスがお酒について面白いことを嗅いているから紹介するね。
最初の1杯は健康を、2杯目は喜びを、3杯目は健やかな眠りを願って乾杯する。賢明な客は3杯目を飲み干したら帰宅するものだ。4杯目で理性を失い暴力沙汰に、5杯目で喧騒を招き、6杯目で酔漢の大騒ぎとなり、7杯目で面目を失う。8杯目で警官が呼ばれ、9杯目で吐き気がし、10杯目には正気を失って家具を投げ飛ばす。

今日も読んでくれてありがとうございます。紀元前400年にこんな警告文が流布されるくらいだ。飲みすぎて騒乱を起こす輩も多かったんだろうな。ちなみに、カエサルはワインを交わして打ち解けてから交渉事を行うことがあったらしいよ。政治の世界にもワインが使われていたんだね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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