ワインの話を続けましょう。お酒の歴史マジで長いよ。だいぶコンパクトにしているつもりだけど、このシリーズを書くのにかなり調べたからね。書く時間よりも本を読んだ時間のほうが長いかも。まあ、書き始めちゃったから最後までちゃんとやるよ~。
フランスのブルゴーニュ地方にもワインの有名所が揃っているよね。地理的にはスイスに近くて東寄りになるから、内陸地だ。ボルドーワインの説明はしたから、比較していくのがわかりやすいかな。
ボルドーワインは、城を意味するシャトーが中心だったよね。これは、畑も持っているしワインも作る一気通貫生産方式だ。前回は説明しなかったけど、複数の品種のブドウを栽培していて、それらをブレンドすることで高品質なワインを醸造するという特徴を持っている。もう、とにかく広大なイメージのところでワインを作っている。
これに対してブルゴーニュ地方は「畑」が主役だ。複数の品種を混ぜるということが基本的にない。この畑のブドウで作ったワインだよ。と単一畑であることをブランドにしているんだ。シングルオリジンとも呼ぶよね。だから、ボルドーワインではシャトーをブランド名にしたけれど、ブルゴーニュワインでは「畑の名前がブランド名」にしているんだ。「ロマネ・コンティ」って聞いたことあるよね。これは、コート=ドール県にあるヴォーヌ・ロマネ村のロマネ・コンティという畑のことを指しているんだ。ボルドーとは全然違うよね。
畑単位で細かく指定しているのには修道院の影響がある。
元々古い時代から高品質のワインが作られていた地域で、ローマ帝国時代からワインの産地にはなっていた。ローマからキリスト教が流入してきて、この地域に修道院が作られてそこでワインを作っていたんだって。これが6世紀頃。前にも言ったけど、教会がワインを作るって部分ね。資金源でもあったかもしれないけれど、この地域では「必要なものは自分で作る」という宗派だったことが影響している。ベネディクト派のクリュニイ会とシトー会が中心になっていて、そういう教義だそうだ。
とにかく、修道院にいる修道士というのは、この当時の最高レベルの知識人なんだよね。これって、日本の仏教の僧侶と同じ立ち位置だ。宗教と知識はセットで動くことが多いね。だから、ワインも美味しく作ったし観察や研究もしたんだろう。
11世紀になって、あることに気づいた。「あれ?畑によってワインの味が違うんじゃない?」よく気づいたなあ。500年観察し続けたのかどうかはわからないけれど、とにかく気づいたので実験してみた。畑を細かく区切って栽培してみた。その区分を「クリマ」という。
これが功を奏して、どんどんブルゴーニュワインが美味しくなっていく。ボルドー地区とは違って、自然発生的にブランド化していくんだ。めちゃくちゃ美味しいから欲しい。が増えていったんだね。主にパリに出荷されていたんだ。パリジェンヌたちの心を掴んだのはブルゴーニュが先だったんだね。パリの教会の大半はブルゴーニュワインを仕入れていたみたいよ。まあ、ボルドーはイギリスに占領されている時期だった気がするけど。
13世紀になると、ブルゴーニュ公国が成立する。ここ、フランスじゃなかったのよ。ディジョンって今でもある都市だけど、ここが首都で美食の街って言われている。ちなみにマスタードが有名。
このブルゴーニュ公国の王様でワイン生産に積極的に取り組んだ人が2人いる。まずはフィリップ豪胆公(1364~1404年)。「ガメ種というブドウよりもピノ・ノワールの方が美味しから、ガメ種を引っこ抜いて植え替えよう」という命令を出した。実はこれが現代のブルゴーニュワインの特徴になっていくのね。
孫のフィリップ善良公(1419~1467年)は、おじいちゃんのやったことを更に加速させる。もうとにかくワイン生産頑張れと。お金を出したり法律を制定したりと、死ぬまでワインの品質向上に力を注いだんだって。
ちなみに、イギリスとフランスが百年戦争している時代だからね。その隣で国力増強のために活動したらしい。初めはイギリス側についてジャンヌ・ダルクを捉えることもしたし、後半はフランス側についてフランスの勝利に貢献した。という参加もしているけど、こっそり領地拡大もしている。これは、隣でドンパチやってるから、怖いんだよね。いつ飛び火するかわからないもん。そこで国力を強化するための方策の一つに領地拡大もあったし、一方で経済政策としてワイン生産の伸長もあったんだろうね。
ワインが好きなだけかもしれないけどさ。
今日も読んでくれてありがとうございます。ここまでのところで、ブルゴーニュワインの基本スタイルが出来上がってきたね。フランス地域のブランドワインはこっちが正統派な感じがするよね。というと叱られるかな。有名になったのが早いのはブルゴーニュワインだったってことね。