エッセイみたいなもの

今日のエッセイ お酒と人類の付き合い方について思う 2021年7月13日

2021年7月13日

お酒の歴史だけで長いこと書いてきました。最後はワインの話になったから、ここから読んだ人は「なんの店?」とか思っているかも知れないけど、「掛茶料理むとう」は「会席料理」を主体とした日本料理店です。

さて、「お酒と人類の深い関係」シリーズはいかがでしたか?
ホントはね。会席料理ってお酒のつまみから始まったんだよ、という話まで続けるつもりだったんだけど、あんまり長いからワインの話で一旦終了にした。毎日お酒の話ばっかり書いてるからね。もっと他にも料理のこととか、食材のこととか、普段考えていることも書きたいのに、なかなかたどり着けないんだもん。でも、いつか「日本酒と日本料理」は絶対書くよ。

日本料理や日本のことを知るときに、世界のことを調べるっていうのは良いなと思った。というのもね、物事を相対化して見る事ができるから。いま、目の前で起こっていることや、ぼくたち自身が「いったいなんなのか」ということは、他者との相対比較によって理解することが出来るんだと思っている。
自分をちゃんと知ることがどれほどの価値を感じるのかは、それぞれだけど、ぼくはかなり重要だと思っている。知る対象そのものを掘り下げることも良いんだけど、それと同時に比較対象となるものを知らないと、どれだけ特異性があるのかが全然見えないから。

これは、企業経営にも通じるよね。ほとんどの企業は同業他社を含めた市場を一所懸命に調べるもん。自社がどの程度の技術力で、どの程度の認知度があって、これからどんな商品展開をしていくのか、そういったことは市場を俯瞰して眺めた時にはじめて理解が深まる。抽象表現をするとわかりにくいかもしれないけど、実際のところみんなやってるよ。他人ばっかり見て比較しててもしょうがないんだけど、自分がどんな存在なのかを把握するには効果的だと思うんだ。
というようなことを考えながら、お酒の歴史を世界を渡って調べてました。

シリーズを読んで、「めちゃくちゃ詳しいじゃん」みたいに感じた人がいるかも知れないけど、そうじゃないからね。もちろんある程度の知識はあって普通の人よりは詳しいと思うけど、お酒の回もお米の近代史の回も、相当頑張って調べてまとめたから。書くよりも調べてる時間のほうが長いくらいだよ。
だから、ぼくもみなさんと一緒に勉強しているんだよね。ただちょっと変わった読み方をするかも。歴史の勉強をしたり、心理学や脳科学や社会学的なものにも手を出す。そうすると、ワインのときみたいに「お酒が政治と絡む姿」がぼんやりと見えてくることがあるし、古代文明の中で「宗教とお酒」の関わり方が見えてくることもある。という感じかな。

お酒って、ホント不思議な存在だと思う。人類そのものがエタノールという、たったひとつの化合物の延長にあるお酒に振り回されていたりもするしね。人の欲望というか、利権争いや覇権争いにも使われるじゃん。なんというか、動物としての本能の部分をむき出しにしてしまうような部分があるよね。そう考えると、「飲んで酔っ払う」だけじゃなくて「存在そのもの」ですら、人格をむき出しにする存在でもあるといえるかも知れない。
こういう書き方をすると、お酒の悪い面を切り取って考えがちだけどそうじゃない。古代では「酩酊するほど酒を飲む」ことで「自分と隣の人が同一化する」という状態を生み出していた。その延長上で神様と同一化しようとしたんだけど。隣人を自分ごとのように大事に思うための手段でもあったんだよ。ね、人類愛に通じる部分でしょ。いまでも、お酒の場で仲良くなるなんてことが当たり前に起こっている。ノミニケーションとか言ってるけど、古代からずーっと行われている行為だったりもするんだ。もちろん、こればかりに頼っているようじゃ進化がないんだけど、完全に否定するものでもないと思うんだよなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。酔って「化けの皮が剥がれる」ということもあるけれど、剥がれたところに現れた「本心・本能」が素敵なものだったら良いじゃない。だから、自分の核の部分を常に磨き続けておけば、酩酊して本心が出たところで怖くないよね。というのは理想論だけど、ぼく自身はそうでありたいと思っています。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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