エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「たべものラジオ」はじめました。 2021年7月15日

2021年7月15日

インターネットラジオはじめました。ちょっと前に「お酒と人類の深い関係」や「米離れ。お米の近代史」の食文化や食材を、歴史や人の挙動から読み解いていく連載をここに掲載したよね。これがけっこう好評で、ほんとありがとうございます。まさかの事態にびっくりしてるんだけど。もっとわかりやすくいろいろ知りたいという声や、作業しながら聞きたいという声があったからラジオにすることにしたんだ。

もともと、このエッセイの中で料理の歴史を深堀りし始めたのだって言われてやり始めたことなんだ。ときどきこういう話をいろいろしてたみたい。みたいっていうのは自覚なくやっていたってことなんだけど。それが接客の中で話すこともあれば、厨房でだったり、お酒の席だったり、まあ色んな所で話してたみたいなんだよ。そしたら、口頭で聞いても忘れちゃうからどっかに書いて欲しいって言われてさ。書くとなったら、正確なところを調べなくちゃと思ってね。ずっと残るし、公開するならなおさらだよね。

書き始めた頃を見返してみると、けっこう料理と関係ないこともいっぱい書いている。昨日のエッセイも「相対化と俯瞰」がテーマで、全然料理とは関係ないし。ぼくの思考実験みたいなこともあって、「文字を書きながら考える」場所にもなっている。頭の中にぼんやりとある思考って、文字起こしを始めると自分でも想定していなかった場所にたどり着くことがあるんだよね。そういうのも面白くて書いてきたという一面も持っている。それはそれで続けていこうとは思っているんだけど、食べ物の歴史的背景や、現代につながる食と人類の関わり方や、文化みたいなものだけを切り出したメディアがあってもいいかなと思ってね。ラジオの方は、食べ物関係だけを切り出したものにしようと思っています。

料理ってね。もともと「生きるための知恵」でしかなかったわけ。今でもやっぱりそうなんだけど。食料がないと、動物として人類が滅んじゃうから頑張って食料を確保する。だけど、気候変動や他の動物(人間を含む)との関係性という生活環境によって、十分に食料を確保するのが難しいこともあったんだよね。その中で一所懸命に考えて、十分な栄養を摂取できるように工夫を重ねたものが料理だ。体にいいのは分かっているけど、毎日食べられる味じゃないとしたら調理加工の技術でなんとかする。食料需給が安定しなかったから農業を始めたのに、食べにくいからやっぱり調理する。そうやって、ホントに長い長い時間をかけて人類が獲得してきた知の集積が料理の本質なんだと思うんだよ。
その延長上に、娯楽としての料理が派生する。それが近現代になって花開くことになるよね。食が娯楽になるのは、人類が豊かな暮らしを手に入れたからだとも言える。実際、掛茶料理むとうで提供している料理の大半は、娯楽としての料理だもん。生命維持とは直接関係ない部分。不要不急は避けよ、と言われたら真っ先に停止する産業だね。けど、この食が娯楽になっていったことは予想外の効果を人類にもたらしてくれている。心のケアにとって、娯楽はとても有意義な効果を発揮するんだって。

リラックス効果や脳の活性化、につながる「感情や感性」が生産能力向上につながる。という文脈で語られることが現代では多いけどね。心の豊かさとか、幸せってどんなんだっけ、といった問いに気づかせてくれるのは、やっぱり数字でコントロールされていない世界のものだと思うな。旅行や映画鑑賞、絵画や彫刻、音楽やスポーツといった、体を使って表現をされたものが、実は心の豊かさに一番効果的だ。ということを、最近の科学研究では常識になっているそうだ。このアートな部分をサイエンスで解き明かしているというのも不可思議な現象だと思うけど。
美味しい料理を食べる、喜んでもらうために料理を作る、料理を楽しむための空間を整える、食事という時間そのものを楽しむ。これらのことは、みんな人間の「幸せ」に作用するものだんだろうと思う。この中の「料理を楽しむための○○」が、料理に関するうんちくや歴史の物語なのかもしれない。今食べているこの野菜を作るために○○さんが、いろんな工夫をしてきた。みたいなストーリーだって料理を楽しむための空間づくりに一役買っているように思える。

今日も読んでくれてありがとうございます。皿の中身だけを見るのも料理の楽しみだし、文化や歴史背景まるごと見るというのも食事の楽しみ。どっちもあって良いよ。そんな感じで「たべものラジオ」はじめました。とりあえず、試験版作ったのでこちらから。

インターネットラジオはじめました。ちょっと前に「お酒と人類の深い関係」や「米離れ。お米の近代史」の食文化や食材を、歴史や人の挙動から読み解いていく連載をここに掲載したよね。これがけっこう好評で、ほんとありがとうございます。まさかの事態にびっくりしてるんだけど。もっとわかりやすくいろいろ知りたいという声や、作業しながら聞きたいという声があったからラジオにすることにしたんだ。

もともと、このエッセイの中で料理の歴史を深堀りし始めたのだって言われてやり始めたことなんだ。ときどきこういう話をいろいろしてたみたい。みたいっていうのは自覚なくやっていたってことなんだけど。それが接客の中で話すこともあれば、厨房でだったり、お酒の席だったり、まあ色んな所で話してたみたいなんだよ。そしたら、口頭で聞いても忘れちゃうからどっかに書いて欲しいって言われてさ。書くとなったら、正確なところを調べなくちゃと思ってね。ずっと残るし、公開するならなおさらだよね。

書き始めた頃を見返してみると、けっこう料理と関係ないこともいっぱい書いている。昨日のエッセイも「相対化と俯瞰」がテーマで、全然料理とは関係ないし。ぼくの思考実験みたいなこともあって、「文字を書きながら考える」場所にもなっている。頭の中にぼんやりとある思考って、文字起こしを始めると自分でも想定していなかった場所にたどり着くことがあるんだよね。そういうのも面白くて書いてきたという一面も持っている。それはそれで続けていこうとは思っているんだけど、食べ物の歴史的背景や、現代につながる食と人類の関わり方や、文化みたいなものだけを切り出したメディアがあってもいいかなと思ってね。ラジオの方は、食べ物関係だけを切り出したものにしようと思っています。

料理ってね。もともと「生きるための知恵」でしかなかったわけ。今でもやっぱりそうなんだけど。食料がないと、動物として人類が滅んじゃうから頑張って食料を確保する。だけど、気候変動や他の動物(人間を含む)との関係性という生活環境によって、十分に食料を確保するのが難しいこともあったんだよね。その中で一所懸命に考えて、十分な栄養を摂取できるように工夫を重ねたものが料理だ。体にいいのは分かっているけど、毎日食べられる味じゃないとしたら調理加工の技術でなんとかする。食料需給が安定しなかったから農業を始めたのに、食べにくいからやっぱり調理する。そうやって、ホントに長い長い時間をかけて人類が獲得してきた知の集積が料理の本質なんだと思うんだよ。

その延長上に、娯楽としての料理が派生する。それが近現代になって花開くことになるよね。食が娯楽になるのは、人類が豊かな暮らしを手に入れたからだとも言える。実際、掛茶料理むとうで提供している料理の大半は、娯楽としての料理だもん。生命維持とは直接関係ない部分。不要不急は避けよ、と言われたら真っ先に停止する産業だね。けど、この食が娯楽になっていったことは予想外の効果を人類にもたらしてくれている。心のケアにとって、娯楽はとても有意義な効果を発揮するんだって。

リラックス効果や脳の活性化、につながる「感情や感性」が生産能力向上につながる。という文脈で語られることが現代では多いけどね。心の豊かさとか、幸せってどんなんだっけ、といった問いに気づかせてくれるのは、やっぱり数字でコントロールされていない世界のものだと思うな。旅行や映画鑑賞、絵画や彫刻、音楽やスポーツといった、体を使って表現をされたものが、実は心の豊かさに一番効果的だ。ということを、最近の科学研究では常識になっているそうだ。このアートな部分をサイエンスで解き明かしているというのも不可思議な現象だと思うけど。

美味しい料理を食べる、喜んでもらうために料理を作る、料理を楽しむための空間を整える、食事という時間そのものを楽しむ。これらのことは、みんな人間の「幸せ」に作用するものだんだろうと思う。この中の「料理を楽しむための○○」が、料理に関するうんちくや歴史の物語なのかもしれない。今食べているこの野菜を作るために○○さんが、いろんな工夫をしてきた。みたいなストーリーだって料理を楽しむための空間づくりに一役買っているように思える。

今日も読んでくれてありがとうございます。皿の中身だけを見るのも料理の楽しみだし、文化や歴史背景まるごと見るというのも食事の楽しみ。どっちもあって良いよ。そんな感じで「たべものラジオ」はじめました。とりあえず、試験版作ったのでこちらから。

たべものラジオ

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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