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今日のエッセイ 天賦の才ってなんだろう 2021年7月22日

スキルと才能とは別物だと捉えるのが良いと思っています。と言っても、なんのことだか意味不明なんだろうけど。才能というと「天賦の才」ということになるのだけど、これは超人的な能力という意味ではなくて、それぞれの個性だと思うんだ。

なんとなく出来てしまうコトってないですか?特に努力をしなくてもなんとなく出来てしまうことだったり、ついつい熱中ししてしまうこと。適正とでも言うのかな。性格も大きく影響していると思うんだけど。
例えば、サッカーでディフェンス向きの性格の人とオフェンス向きの性格の人がいるとする。もう、攻めるのが好きだとか守るのが好きだとか、そういう次元での話ね。これと、ディフェンスとしての技術を持っているかどうかは別物だと感じるという話だ。元サッカー日本代表のゴンこと中山雅史さんは、まぎれもなく日本サッカー界を代表するストライカーで「攻撃で点を取る」ということに特化した選手だった。連続得点やワールドカップでの初得点といった記録もあるから、サッカーを知っている人もしくは静岡人にとっては有名人だ。だけど、この人大学時代まではディフェンスだったんだって。身体能力の高い選手だったから、ディフェンスでもこなせたとは思うけれど、そのままディフェンスでいたら果たして歴史に残るような記録を作ることが出来たのかなあ。ということを、テレビなどの彼を見ていて動物的な直感で感じる。

才能というと、ちょっと特別なもののように感じてしまうけど、ぼくの定義ではそういうものじゃないということになる。
世の中では「単調作業をこなす」ことに従事している人を少し下に見る風潮があるよね。部品の組み立てだったりとか、伝票の整理だったりとか。それが違うんだよ。ぼくは、これを継続して実施できるという才能だと思っている。本気でね。というのも、ぼくが出来ないから。ホントに続かないし、モチベーションが下がるし、投げ出したくなる。そんなだから、ちょこちょことミスをする。使えない奴なんだ。ところがこの部分で才能を発揮する人もいて、早いしキレイだしきっちりやる。しかも、なんか楽しそうにやっている人に出会ったことがある。その人は、もう何時間でも「レベルが一定のテトリスをやり続けられる」という人だ。これってほら、もう才能じゃないかな。

才能が最も発揮できる仕事についていたら、それだけでその本人はバリバリと働くだろうし、きっと楽しいだろうと思うんだよね。そんな素敵なことが現実になっている人が世の中にどのくらいいるのか知らないけど、みんながみんな才能を発揮できる状態だったら素敵だろうなあ。適材適所っていう言葉は、こういう理解のもとで働くものだろう。理想でしかないのかも知れないけれど、チームが完全な適材適所で稼働し始めたら、マネジメントなんてものが消し飛ぶんじゃない?いや、言い過ぎか。事業をまとめるマネジメントは残るけれど、人を動かすマネジメントの領域がかなり小さくなっていくんじゃないかと思うんだけど、どう思いますか?

この理想の世界では、自分自身と周りの人のことを理解しようと努力し続けることが必要不可欠になる。ああ、これスポーツの世界では当たり前にやっていることだ。自分と他人を知ることで生まれる差分を見つけて、その差分から生まれるものを楽しむこと。どっかの本でこんな表現を見たことがあるような気がするんだけど、そういうことだったのか。なんだか繋がってきたような気がするよ。

「出来ること」というのは才能とはイコールでないことがたくさんあるよね。どちらかというと、経験を積み重ねて手に入れたスキルであるケースの方が多いような気もする。データをとったわけじゃないから知らないんだけど。なんとなくそうなんじゃないかなと。才能というのは、経験やスキルなど関係なく出来てしまうことのようなものだろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。最近、またややこしい思考の連鎖にハマっています。こんなことを考えてみるものの、自分自身の才能がどこにあってどんな状況で発揮されるのかは自分ではなかなかわからないものなんだよなあ。誰か教えて。

Posted in エッセイみたいなもの

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