エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 妄想が作る社会。 2021年8月5日

人間社会の全てのことは、誰かの妄想の先に成り立っていると思っています。誰かが、こんな風になったら良いなと考えたことを、その人が実現する。時によっては他の誰かが実現する。実現する方法は色々あるけれど、どんな方法であっても最初は誰かの妄想なんだよね。

最近、ちょっと哲学めいたことばかりが続いているので興味のない人には退屈な話なのかも知れない。だけど、実はとても大事なことなんだと思うんだ。歴史を見れば、全てではないけれど誰か一人の妄想が発端になって社会が変容することってたくさんあるんだよね。ジャン・ジャック・ルソーの啓蒙思想だってそうだ。本人は人権を獲得するための行動をしたわけじゃないけれど、彼の思想がバックボーンになってフランス革命が起きるわけでしょ。現代人の僕らにしてみれば、人権思想を語ることの異質さを理解するのにはとても苦労をするけれど、当時の人にとっては文字通り革命的だったはずだ。もちろん彼の前に土台となる思想がいくつもあって、その先にルソーが誕生している。だけど、啓蒙思想はとんでもなく異質。現代に置き換えて、彼と真逆の思想を発信してみると仮に考えてみよう。人間には人権なんて無い。全ての人間は生まれたときから階級が決まっていて、低階層の人たちには人権なんて認めるべきではない。さあどうだろう。ムチャクチャなことを言っているように聞こえないかな。語弊はあるけれど、当時の人たちには同じくらいにムチャクチャなことのように聞こえたんだと思うんだよね。

社会でなにかをなした人たちは、大抵この類の人たちだ。モールス信号だって、アメリカで始めて実用化されるその時まで、実用に絶えない机上のものだと言われたし。墨子が唱えた慈愛で統治する国家モデルだって、古代中国では見向きもさなかった。だけどどうだろう。モールス信号は世界を変え、それが電話やインターネット技術へ繋がるきっかけになった。墨子の思想は、現代の国家モデルの理想のひとつでもある。結局誰かが言い出さないと、なにも始まらないんだってことなんじゃないかと思うんだよね。

近世近代の日本でも、やっぱり誰かの妄想の先に出来たものが多い。インターネットを生活インフラにするんだと言った方がいて、ADSLを日本で一般普及させることを考えた千本倖生さんはイー・アクセスを起業した。ちなみに、かつてぼくが働いていた会社だ。これだって、今では考えられないけれど、当時からしたら完全な妄想でしかなかったかも知れない。渋沢栄一が目指した日本社会は、開かれた資本主義で当時の日本の経済のあり方を変えていったし、福沢諭吉の学問のすゝめは社会政治にも大きく影響を与えることになる。

掛茶料理むとうは、田舎の小さな飲食店でしか無いのだけれど、ぼくだって妄想はするんだ。昨日のエッセイに書いたのだけど、飲食店は実用ではなくて心に働きかける場所になれると思っている。今よりも、もっともっと楽しくて、安らぎを得られる空間を作ることが出来るんじゃないかと本気で思っている。日本料理を世界に発信していくことは、日本人の気質を世界に発信することにつながっていって、もっともっと相互理解を深める一助になることだって出来ると、これまた本気で思っている。新渡戸稲造の武士道という本で表現したことを、文字じゃないところで表現する。そんな感じなんだけど、個人の妄想だからなかなか伝わらないんだよね。
実は、この伝わらないことを伝えるということが、とても重要なんだろうね。だって、妄想なんだからそれを無言で実現しようとするよりも、しっかり伝えて誰かとタッグを組んで行動するほうが力強いんだもん。だから、一流の経営者や政治家は伝える能力が高い人ばかりだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。書いていくと、やっぱりこの結論に着地するのか。自分のできていないところが浮き彫りになる感じが、グサグサと刺さるんだよねえ。考える。伝える。行動する。文字にすると大したこと無いように見えるのにね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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