エッセイみたいなもの

今日のエッセイ モノの数え方には意思が含まれるという話。 2021年8月6日

日本語の中に「助数詞」というものがあります。助数詞というと分かりづらいけれど、数を数えるときの単位のことね。鳥は1羽とか、魚は1匹とか、箸は1膳とか。
この助数詞がちょっと面白いなと思ってさ。今日は日本料理の中に登場する助数詞について考えてみようかな。相変わらず結論なしで書きながら考えてるから、どうなるのかさっぱり検討もつかないけれど、まあ始めてみましょうか。

まず、ぼくが興味深いと思ったのが、「一匹」「一切れ」「一本」「一尾」という表現。意味がわからないと思うんだけど、これ全部が魚の助数詞として成立しているんだ。ぱっと見て、どんなイメージが浮かぶ?言語学者じゃないから、ぼくの個人的な感覚でしか無いのだけど、受け取る印象はこうだ。
「一匹」は生きている魚かな。仕入れする時に言わないことも無いけれど、なんとなくまだ生きている魚を想像する。「一切れ」は、もう間違いなく刺し身みたいな状態を想像するよね。だけど、これが興味深くて「魚の身が一切れ」というのが正確な表現でしょ。現に英語などのヨーロッパ語ではそうなるはずなんだ。だけど、ぼくら日本人は「魚一切れ」で通じるよね。これって、もしかしたらスゴイ表現方法なんじゃないかと思ってさ。「一本」も「一尾」も食材としての魚を想像するかな。「一本」の場合は、ちょっと無機質な印象がある気がする。どちらかというと「一尾」の方が、魚らしさを伴っていて「かつて生きていた」くらいのニュアンスすら感じるんだよね。

こんなことを考える人が他にいるのかどうか知らないけれど、単純に不思議だなあと思ってさ。全部魚を指し示す助数詞なのに、ぼくらは無意識のうちに魚の状態を助数詞に込めて会話してるんだもん。そんなことって、他の言語にあるのかな。どうなんだろう。とりあえずググってみたら、日本語には500くらいの助数詞があるんだって。かなり多い言語っぽいよ。多いってことは、何かしらの意図があって、会話するのに便利だから発達したんだと思うんだけどね。考察するには難しすぎて、用例をたくさん集めなくちゃいけないから、いずれ言語学の本でも読んでみようかな。
とにかく、数の単位に人間が捉えている数字以外の情報が盛り込まれているのが面白いと。それが言いたい。

あとね。ペアで数えるものもあるのが面白い。箸なんて1本2本と数えたって良さそうなもんだけど、一組で1膳だよね。靴が一足とか、門松はひと門(かど)とか。なんだか、対であることがとても重要な意味を持っていて、そういう世界観で認識してきたんだとうことだ。それがどうしたと思うかも知れないけれど、英語に置き換えて考えてみたら、不思議な気持ちになるから。箸はチョップスティックス。複数形になっているでしょ。ということは、英語の世界観では、2本だと感じているということ。だけれども、ぼくらは1本の箸は片割れでしかなくて、大きく欠如した感覚。この差分が不思議だなあと思うわけ。料理の世界で対であることを明確に表した助数詞が箸しか思いつかないのがつまらないなあ。探せばもっとたくさんあるのかも知れない。

あ、ひとつ思い出した。寿司だ。平成に入ったあたりからは、1個で1貫と数えるお店が増えちゃったんだけど、昭和時代は2つで一貫だったよね。そのほうが当たり前だと感じているひとが多かった。あれね。諸説あるけれど、寿司の起源を知るとスッキリ解明するんだよ。そのうち、寿司についてもラジオで喋ろうと思っているからその時にでも。

今日も読んでくれてありがとうございます。ちなみに、豆腐の数え方の1丁って、市販の豆腐の倍のサイズを指しているんだって。つまり、スーパーで売っているのは半丁。助数詞にサイズの情報まで盛り込まれているんだから、現代人にとってはちょっとややこしいよね。そのうち、変わっていくのかも。

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武藤太郎

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