エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 味噌汁の意外な必須アイテム 2021年8月10日

味噌汁と聞いてどんなものを想像しましたか?まあ、人それぞれだよね。信州味噌、白味噌、赤味噌、という味噌も違うだろうしさ。具だって、豆腐、ワカメ、葱、大根、里芋、油揚げ、とか挙げてったらきりがないもんね。とはいえ、だいたい現代の味噌汁と呼ばれるものには一定の型みたいなものがあるよね。この型が出来上がるまで、味噌汁はどんな変化をしてきたのかという話をします。

味噌汁が日本で最初に飲まれるようになったのは、鎌倉時代(1185~1336年)なんだ。大きなきっかけになったのは、日宋貿易ね。平安初期までは遣唐使って言って、朝廷が船を出して中国大陸に使節を送ったり、僧を留学させたりしてたんだけど。それが一旦途絶えて、久しぶりに鎌倉時代に中国との交流を再開するの。そのときには「唐」がもうなくなっていて「宋」という国になっているんだけどね。遣唐使との一番大きな違いは「貿易」が中心なんだよ。鎌倉幕府も鎮西奉行(ちんぜいぶぎょう)が博多を統治してからは、宋との貿易をしていたし、なによりも「民間貿易」が行われたのが大きいんだよ。あと、民間船に乗って今までより多くの僧侶が行き来するようになったんだって。比較的だけど。ただ、そのおかげで、日本に画期的なものが持ち込まれることになった。
それが「すり鉢」だ。

すり鉢がなくちゃ味噌汁ができない?と思うでしょ。そうなんだよ出来なかったんだよね。当時の味噌は粒がかなり大きい。味噌ってね。大豆を包丁で叩くようにして細かく刻んで、それを蒸したり茹でたりして塩漬けにして…という工程があるんだけど、この粒大きいと「水に溶けない」んだ。ちゃんとペースト状にしないと、ひきわり納豆みたいなつぶつぶが出汁の中に漂っているだけになっちゃうのね。これじゃ、なんとも飲めない。汁には味がついてないし、下からしょっぱい大豆の半分溶けたようなのが出てくる。
だから、すり鉢でペースト状にしてやる必要があったんだ。

ちなみに、すり鉢が日本に伝わる前にも実は似たような機能を持った調理器具も存在していた。それが、杵と臼ね。餅つきに使うやつだよ。元々は杵も臼ももっと小さくて、お茶碗くらいのサイズだし、陶器や石で作られているものだった。これ、今でも似たようなのがあるよね。乳鉢と乳棒って、薬をすりつぶすのに使う白いもの見たことないかな。あんな感じ。
とにかくそれを使って、「すりつぶす」と「つく」という作業をしていた。主に餅などを作ることに用いているうちに、大型化していって、その過程で木で作られるようになった。石で大きな臼を作るのは大変だし、持ち運べないもんね。木製になったことで「つく」ことに関しては、かなりパワーアップしたんだけど、その代わりに「すりつぶす」能力を失っちゃったんだよ。杵と臼で味噌をついたら…飛び散っちゃって大変だったろうね。

そこに、すり鉢とすりこ木がやってくるんだ。こりゃもう、すこぶる便利だもん。味噌だけじゃなくて、胡麻やクルミをすりつぶして使うのにももってこいの調理器具だ。初期はまだ内側がツルッとしていて、現代みたいに櫛で後をつけた筋を刻むようになるのはもう少しあとになってからなんだけどね。それでも、ペースト状に出来るというだけで、画期的なことだったんだ。鎌倉時代から室町時代にかけて、すり鉢はどんどん日本に広がっていって、それとともに味噌汁文化が広がっていったというわけだ。
特に、鎌倉武士を中心にね。鎌倉時代は幕府が「質実剛健」「質素倹約」を標榜としていたこともあって、シンプルだけど機能的というものを何にでも求める風潮だったんだって。そのなかで「一汁一菜」という食事文化が生まれる。一汁一菜は「ご飯」「味噌汁」「おかず」「漬物」。今の定食の原点よね。

今日も読んでくれてありがとうございます。味噌汁の誕生の裏には、すり鉢とすりこ木が必須だったんだ。というのは、現代の感覚では意外に感じる調理器具が関わっていたね。この後、味噌汁が爆発的に日本をハックすることになるよ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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