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今日のエッセイ 味噌汁百花繚乱の江戸時代 2021年8月13日

江戸時代に発行された料理本『料理塩梅集(りょうりあんばいしゅう)』(1668年)には、みそ汁の作り方が詳しく書かれています。「赤みそ1升、白みそ3合の割合で別々にすって漉しておき、鰹だし袋と共に鍋に入れ、妻(具)を3、4種加えてみそ汁を作る」
地域でも作り方や風習も違ったみたいで、「京や大阪ではみそを自製する者が多く、食事のたびに桶からとり出してすり鉢ですってみそ汁を作る。江戸では赤みそ、田舎みそを買ってみそ汁を作る」と『守貞謾稿(さだもりまんこう)』(1853年)に記載がある。こっちは江戸の後期だね。この書には『庶民の朝食はご飯と味噌汁』って明記されているよ。
時代に開きはあるけれど、江戸のあいだも味噌汁文化は多彩になって、味噌の種類や具のバリエーションが格段に増えた時期だということがよく分かるよね。

当時の江戸(今の東京)はなにしろ世界一の大都市のひとつだ。八代将軍吉宗(暴れん坊将軍ね)の時代には100万人いたんじゃないかと言われている。幕府による人口統計があるにはあるんだけど、町人しか調べてないんだよね。幕府の記録では町人が50~60万人。武士や寺社は調査対象になっていなかったんだけど、町人と同じくらいはいたから、合わせて100万人ね。

これだけの人がいると、とにかくいろんな商売が生まれるしやってくる。まず味噌だけど、これはいろんなところからやってくる。初代家康が味噌大好きだったからね。特に八丁味噌。生まれ故郷の岡崎市の味噌だもん。当然江戸にも届く。ちなみに、八帖村で作っていたからこの名前なんだけど、生産量の割に全国区で有名になったのは、やっぱり徳川幕府が好んだからというのは大きい。それから、信州味噌や仙台味噌は江戸にもあったし、上方から京味噌を取り寄せる武士もいたらしい。なにしろ参勤交代のおかげで日持ちする味噌や乾物は江戸に集まっちゃうんだよね。

江戸前の海産物は毎日棒手振り(ぼてふり)が売りに歩いた。棒手振りは長い竿の両端に桶をぶら下げて、その中に商品を入れて売り歩く行商のことね。しじみやアサリは味噌汁には人気の食材で、よく売れたらしいよ。江戸前は文字通り江戸の前にある海のこと。東京湾の魚介類。一応言っておくけど、現代の東京湾じゃないからね。人口だって今の10分の1にも満たないくらいだし、品川は畑が一面に広がっていたし、浜だってキレイだったんだから。そういう環境で捕れた貝類は旨いよ。それも朝捕れたてなんだから。江戸の庶民はこぞって買ったらしいんだけど、意外にも武家はあまり手を出さなかった。下賤なものという見方もしていたし、武士は質素倹約こそ美徳という世界でもあったから、具の少ない味噌汁を飲んでいた。

ここで理解しておかなくちゃいけないのが「汁物」と「吸い物」の違いだ。庶民が「汁物」を好み、上流階級が「吸い物」を好んだと記載している書籍があるけど、半分正解というところかな。もともと「汁物」は「おかず」の中の一品を指している言葉だ。おかずが汁に浸っているもの、という意味で汁物ね。それに対して「吸い物」は文字通り「吸う」のがメインになっているから、飲み物の延長にあるスープだ。洋食風にいえば、汁物がシチューで吸い物がスープかな。
つまり「汁物」は具だくさんが一般的だったんだよ。煮物と変わらないくらい具だくさん。ね、おかずでしょ。この頃の庶民の食卓は一汁一菜。ご飯、汁物、漬物くらいの感じね。かなり質素みたいだけど、具だくさんの汁物だから十分なんだ。これに対して武士の一定以上の階級は、煮物とか焼き魚なんかが付くから、具だくさんである必要がない。吸い物が多いし、汁物であってもスッキリした味わいの味噌汁で具の数もある程度絞り込まれたものだった。という背景がある。
だから、武士の味噌汁の方が質素。庶民の味噌汁の方が、いろんな具が入っているし、いろんな具の味噌汁を日替わりで楽しんだということになったんだね。

今日も読んでくれてありがとうございます。庶民的な料理だからこそ、庶民の方がいろんなバリエーションを楽しんだというのが面白いよね。そういえば、将軍は豪華な汁物も食べていたらしいよ。伊勢海老とか鯛とかね。だけど、お毒味の後だから全部冷めているし毒見役がつまんだ後だもんね。美味しさ半減じゃん。どっちが幸せだったんだろう。味噌汁の話ね。

Posted in エッセイみたいなもの

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