エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 自由な思考を手に入れるには? 2021年8月23日

「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションだ。」というセリフを聞いたことがある人も多いですよね。アルベルト・アインシュタインが言ったとされる言葉だ。言葉のレトリックが絶妙だよなあ。
常識と偏見ね。

偏った見方。思い込みも含まれるのかな。ぼくというフィルターを通してジャッジしたもので、他の人にはあまり通用しないかも知れないようなもの。論理的な思考よりも、「これはこういうものだ」とまるごと受け入れているようなこともあるかな。まあ、これが偏見ということにしておいてみよう。
あんまり良い印象がない気がするけど。
で、そのコレクションだと。思い込みがいっぱいあって、その集合体を常識と定義している。ほうほう。なんだかスゴイことを言っているぞ。噛みしめるたびに渋みが効いてる感じがするなあ。

常識と思っていること。思っていることと言っている時点で思い込みなんだけど。その常識は、自分だけのものであって、世界中で通用するものじゃないんだ。ってことを言いたいんだろう。自分だけのものというよりは、自分が生きてきた限られた社会生活だけで通用するものかもしれないね。

「人間は、生まれ育った数十年の社会の意識を反映する存在だ。」って言ったのは誰だっけ?レヴィ=ストロース?忘れたけど。周囲の社会通念に私達の意識は支配されているわけだ。という意味でもあり、ある一時代の人間の生き方や考え方を抜き出せば、その次代の社会が見えるという意味にもなる感じかな。

同じではないけれど、どちらも似たような感性で生まれてきたセリフに見えるんだよ。これ。そして、常々実感していることでもある。「普通こうじゃない?」と言われても、全くピンとこないことってない?「いやいや、その普通ってあなただけのでしょ。」って突っ込みたくなることさ。

ジェネレーションギャップって、ここから生まれているんじゃないかな。その人の普通は、その人の生きてきた社会の意識だし、アインシュタインによれば18歳までで決まっていることになる。ということは、20歳も離れたら、違う社会で育った人間ということになる。
そりゃ違うよね、常識。噛み合うわけない。個人の意見が違うんじゃなくて、お互いに常識だと思っているんだから。常識だと思っちゃっているということは、お互いに修正してすり合わせるためには、世界を動かさなきゃいけないというくらいの意識になっちゃう。個人の意見だけだったら、自分を押さえればいい。社会までは変えられないとね。

ホントはね。だからこそ歴史を学びなさい、と言っている。歴史が違うと、ジェネレーションギャップどころじゃないから。人殺しが正義の時代があったり、奴隷は家電と同じ認識だった時代もある。そういう違いを学んで、普遍のものと変動するものを見極めよと。そうすれば偏見のコレクションから抜け出して思考は自由になるよと。
「もっと早く言ってよ」
ぼくも、この考えを知って腹落ちしたときはこんなふうに思ったんだけど。みなさんはどうですか?

今日も読んでくれてありがとうございます。「もっと早く言ってよ。」って思ったんだけどね。この考え方を提示した人の名前知ってる?アリストテレスっていうんだ。いやあ、知らないってコワイよね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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