エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 商品の値段を決める感覚 2021年8月28日

「値決めは経営」という言葉を聞いたり読んだりしたことがありますか?京セラの創業者である稲盛和夫さんが言ったのを見たのがぼくにとっての最初だったんだけど、割と昔からある概念みたいだね。

ひとつの商品がある。売るときにこの商品の値段を設定するかは、実際にやろうとすると難しいんだよね。原価から計算することもあるだろうし、市場価格に合わせることもあるだろうし、なんとなく決めるってこともあるだろう。ここは、よくよく考えなくちゃいけない。

まず結論から考えたら、購入するお客様がどう感じるかが重要なはずだよね。原価とか市場価格とかじゃなく「この商品を手に入れたらどのくらい嬉しいか」というのが先にあって、その対価としていくらだったら適正だと感じるかを決める。それを判断する基準のひとつに、原価とか平均とかが用いられるわけだ。
ただ、用いられる技術により過ぎると大切な幹の部分を見失っちゃうからコワイよね。

値決めが難しいというのは、感情に由来するからなのかな。嬉しいとか、ちょうどよいと感じるとか。これを推し量ろうというのだから、簡単には推測できない。あのひとはぼくのことを好きかなあ、どのくらい好きでいてくれるかなあ。そんなことを計算ではじき出すのは、なかなか難しい。そんな感じだ。

ある人にとっては10,000円でも安いし、またある人にとっては1000円でも高いと感じる。というのが「商品」だから、これはしょうがないよね。欲しいものは欲しいし、要らないものは要らない。

一方で、プライシングコントロールという考え方もある。人流をコントロールする時に用いられる概念でもあるんだけどね。単価をあげると客数が減るし、単価を下げれば客数が増える。同じ商品であれば、単純にそういうことになるよね。このバランスをみて、経営的に丁度いいところを探っていく。というのもひとつの考え方で、その上で提供する商品の入れ替えをしながら収支の釣り合うところに着地させるわけだ。
財務に携わったことのある人なら、あたりまえの概念なんだとは思うけど。

意外と、こういうことを考えないで値決めをしちゃっているところは多いみたいだよ。原価とか人件費とか、その他の固定費を計算して分かることは、その商品の最低価格なんだよね。それ以上の価格だったらいくらでも良いはずだ。これをぼったくりと言ってしまうと、社会経済が破綻する。
というのも、お金という社会システムが発明された経緯を考えれば、そういうことになるから。「保存機能」「価値の計測」「交換可能性」「自己増殖」っていうのが、貨幣の定義に含まれている。価値の計測というがここでは大切なところで、「私にとってはこのくらいの価値があると思う」ということを数値で表現しているだけ。いわばモノサシの役割だよね。たとえその商品の原価が5%程度であっても、それだけの価値を感じる人が沢山いれば、それが基準になっていくということだよね。

ちなみに。財務諸表に現れにくいコストがある。開発コストね。研究室を持っているような企業だったら、明確に研究開発費として財務に計上されるだろうけど、そうじゃない企業も多いから。ぼくらみたいな業界でもそうだし、書道家とか学者とか芸術家とか他にもいっぱいいる。そう、自己投資とも呼べる技能だ。これをゼロでカウントしてしまうと、人生における赤字になってしまうわけだ。企業だったら長期的に見るということが大切だという話だね。

今日も読んでくれてありがとうございます。お金の話をすると嫌がる人も世の中にはいるんだけど、偏重してもいけないし疎かにしてもいけないものだと思っている。掛茶料理むとうの商品は、みなさんにどう見られているのか。もうずーっと消えない思考なんだよねえ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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