エッセイみたいなもの

今日のエッセイ イノベーションと創造性と逆算思考 2021年9月7日

逆算思考の続きの話です。書き出したら、続きが気になっちゃってさ。と言ったのは他ならぬぼくなんだけど。先に解を置くにはどうしたら良いか。せっかくだから、改めて言語化しておこうかなと。

本を読んでいると「創造性」という言葉が使われることが多いよね。それが働くことで、未来のビジョンを描くことができる。経営はそれに向かってロジックを積み上げるものだ。みたいなね。未来のビジョンは夢とか目標にも置き換えられるかな。

つまりは、夢を描くにも創造性が必要ということになる?だけど、「将来はサッカー選手になりたい」と言う感情は創造性とは無縁に思えるけどね。そう言えば、子供の夢って大抵はコロコロ変わるよね。それはなぜか。答えはシンプルで、それしか知らないからだ。他の選択肢を持っていないから。そうか、選択肢というワードは重要かもしれない。

子供の頃に描くビジョンは、既存の世界にあるモノの中から選択することが多い。ここから脱却することが創造性なのかな。サッカー選手になりたかった子供が、成長の過程でいろんなことが見えてきて、世界一を目指すとする。既存の有名な選手から技を学び、自分なりの思考を組み合わせて、より世界一に近づこうとする。この作業を延々と繰り返していくと、今までに見たことのない新しいサッカー選手になる人が現れてくる。ここまでいくと、「サッカー選手になりたい」の先に創造性のある世界に突入したことになるのかも知れない。世界一じゃなくても、イノベーションを起こす選手にはなるよね。

創造性を磨くために必要なことは、知識。これがひとつには重要になりそう。現在こういうものがある。過去には違うものがあった。過去と現在とでは違う常識で社会が成立していた。とか、科学はこういう過程で進化してきていて、今こうなっているとかね。

そうなると、常識を疑うということにも繋がるか。だってね。すべての常識を疑って検証していたら、それだけで人生が終わっちゃうもの。現在の社会通念でしか通用しない常識やルール、人類が普遍的に抱えている常識や倫理。これを選別しないと大変なことになるよね。後者を疑ってみても良いけれど、その先にあるのは哲学者になるとか、そういう方向の道。そこに行きたいわけじゃないからさ。あくまでも社会に実装できるモノを生み出したい。だから、疑ってみても良さそうな常識を選び出すんだけど、そのためには世界中の社会と、その過去を俯瞰的に知っているというのは強みになりそうだ。事例の宝庫だもんね。

さて、そこから先に行くとして創造性を磨くにはどうしたら良いのかな。たどり着いていないよね、まだ。普遍的なものを使って、常識を疑うというのはどうだろう。普遍的なんだったら、移ろうものをはかるモノサシの替わりをしてくれそうな気がするんだけどなあ。となると、普遍的なものはなんだ?という話になる。広義の倫理みたいなものは意外と変容する。仇討ちだとか、複数の人と結婚するとか、奴隷制だとか、子供という概念だとか。現代では「ヒドイ」と思われることが倫理的に良いとされている時代があったから。

そうなると、人類がやりがちな行動パターンとかかな。どの世界でも、どの時代でも似たような境遇になると同じようなことをするよね。という事例が参考になりそうだ。なんだろうな。メチャクチャわかりやすいのは「コワイ」ときの挙動。だいたい戦いが起きた背景は2つの理由。隣人がコワイ、隣人のものを取りたい。とくに前者が多いよね。でもなあ。コワイで常識を疑うのも、感情的に気持ち悪い。
あ、感情!そこか。

今日も読んでくれてありがとうございます。そういえば、企業理念って感情から生まれているものが多いよね。特にベンチャー企業なんかはさ。感情から生まれる創造性を使って、未来に解を置く。それを論理的に道筋を立てて、進めていく。そんな感じかな。となると美意識や楽しいとか嬉しいとかの感情がベースのほうが良い気がするなあ。

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武藤太郎

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