「こないだね。」とか「前に」と、話を切り出すことがありますよね。「こないだ」というのは、「このまえ」が詰まった言葉で、「ちかごろ」とか「近年」で「最近よりもちょっと前」というくらいの感覚だ。
ある年齢から、「こないだ」の距離感が長くなってくる。そんな気がしてるんだ。
例えば、友達や知人とおしゃべりをしていて「前にこんな事があってさ」なんてことを面白おかしく話す。話している本人は、とてもリアリティがあって聞いている方も最近の出来事のように聞いている。だけれども、よくよくいつ頃の話なのかを聞いてみると、実は10年以上前のことだったということがある。
話者からすれば、実体験だし記憶も鮮明なのだからリアリティをもって話すことはさほど難しいことじゃないし、自然とそうなるよね。それを聞いている方も、想像を巡らせながら聞いている。ただその時想像している映像、つまり頭の中に浮かんでいるイメージにズレがあることがある。それが時代背景であることが多い。
こういうことは、ある年齢以上で顕著になってくるような気がしていてね。特に明確な根拠をロジックに説明することは出来ないけれど、だいたい30代くらいから始まるんだろうなと思う。例えば、35才だったら10年以上の社会人経験がある人が多いよね。で、後輩や部下に説明する。そうだなあ。何かの事業の説明をするときに、過去の事例として持ち出す。そんなのをイメージする。
入社3年目の頃に、上司の方針でこんなことをやって、お客様の反応がとても良かった。だからそれをアレンジして今の事業に当てはめて考えてみよう。そんなことを言ったりする。実績も経験もついてくる頃だから、説得力があって後輩たちも納得。じゃあそれで、と始めて見るもののどこかが食い違ってしまう。
こんな話はビジネスでも学校でも地域でも、どんなところでも起きるんだよね。なぜズレが発生するのかは、いともシンプルで「時代が違うから」だ。適当なたとえ話を挙げたけれど、入社3年目と言えば概ね25才くらい。35才から見れば10年前だ。中世や近世ならいざしらず、現代においては10年というのは大きい。スマートフォンの性能やインターネット回線の速度、それを使う人のリテラシー。全部が違ってきている。今現在65才の人だって、10年前は55才なのだ。その頃にスマートフォンに馴染んだ人たちは現在も使いこなしている人は多いだろう。スマートフォンユーザーの年齢層の広さは確実に10年前とは違うのだ。
一方で、普遍的な部分は過去事例として扱える。人類がついついやってしまうようなことだったり、10年程度では変わらない社会規範だったり、それこそ「楽しい」と感じることの根幹はあまり変わらない。
過去の話をビジネスや事業で活かそうとするときは、一度思いっきり抽象化させて解釈し直す。歴史上の事例、ビジネス書で語られる他の人の事例、もちろん自分自身の事例。特に、自分の経験に基づく事例は気をつけないとね。感情があるから、抽象化しにくいからさ。
思いっきり抽象化して、もはや概念というくらいになったら、そこから改めて現実に当てはめていく。当てはめていくには現実を正しく認識していないといけない。事実。現在の事実。おそらくは、人類ごときの知能レベルでは完璧な事実認識は出来ないだろうけれど、可能な限り事実認識を行なった上で当てはめていく。面倒くさいふうに書いているけれど、実際めんどくさそうだなあ。でもまあ、こんなことは慣れだ。
これだけのことをして導き出した答えですら、実際に行動してみればズレる。当たり前だよ。概念は過去の事例、認識した事実も現在でそれすらも実行した時点においては過去。つまり、完璧な未来を予測するなんてことは出来ない。AIを使ったところで、過去のデータで導き出せる正確な予測は過去までだ。未来はズレる。だからこそ、そこからPDCAなどの動きが必要になるってことだ。
「こないだ」の感覚は、どんどん伸びていくんだよね。だから、話している本人にとっては遠い昔のことではないわけ。近頃だという認識をしてしまっているから、油断するとついうっかり20年も前の事例を持ち出してしまう。だから「10年を超えたら古い、5年で黄色信号」というルールを自分で決めているよ。
今日も読んでくれてありがとうございます。そういえば、お年寄りが昔話ばっかりするという愚痴を子供や孫たちが言っているよね。それこそ、いつの時代も普遍的な事実。たぶん、話している人からしたら昔じゃないんだよ。全部「こないだ」の話。そういうことなんじゃないかなあ。