「はたらけ、はたらけ」それが最期の言葉だった。先日、祖母が他界しました。享年92才。寝たきりになるのを嫌って、最後までキレイに人生を全うした。ぼくからみた祖母は「粋」という言葉がぴたりとハマる人だったなあ。
その祖母の最期の言葉が、冒頭の「はたらけ、はたらけ」だ。文字面だけを見ると、がむしゃらに仕事をする仕事人間になれと言っているように見えるよね。社畜みたいな。だけど、違う。生前からよく「人様のために」とか「三方良し」だとか、「自然人と社会人」だとか、そういった話をよく聞かされていたからね。
「はたらけ」っていうのは、金を稼げじゃないことは明確だ。社会の一員を自覚して、自分と家族と社会のために心と体を働かせよ。そういうことを言っている。だから、最期まで笑って言った「はたらけ、はたらけ」とね。
ぼくは、ばあちゃん子だったから。影響は大きかったよなあ。昭和3年生まれの女性だから、きっと社会人として働きに出た頃は今とはぜんぜん違う環境だっただろう。女性への教育だって、今ほど平等な機会があったとは言い難いはずだ。だけど、素晴らしく粋で教養があった。
幼い頃から刷り込まれてきたから自覚がなかったのだけど、論理的な思考は祖母譲りだということを自覚したのは随分と年齢を重ねてからのことだ。現代数学のようなものを学んだという話を聞いたことはないし、たぶん微分方程式や確率論などは知らないままだっただろう。だけど、よく本を読んでいたからね。歴史や思想と現実の社会との間を行ったり来たりしながら、培った思考方法なんだろうなあ。
メチャクチャ論理的な思考をする一方で、アートな部分もちゃんと発揮していて、せがめば色鉛筆や水彩絵の具でササッと書いてくれる絵はとてもキレイだ。その気になれば歌を読むこともする。かと思えば、花札のコイコイを教えてくれたのも祖母だ。
けっこうおちゃめでもあった。晩年も「今日の担当のお医者さんがイケメン」だとか言って、機嫌が良かったり、テレビでグレーヘアーが流行っていると聞いて「私もグレーヘアーにしようかしら」なんて言って髪を染めるのをやめてみたり。「ビールが飲みたい」ってわがまま言ってみたり。とても人間らしいよね。そして可愛げがある。
こういう部分が影響しているのかな。人の心の機微にはとても敏感だったんだよね。
そういえば、よく「男も女も愛嬌だよ」と言っていたな。朗らかに過ごせば、大抵のことはなんだかんだと楽しくやっていける。そんなことを思い出した。確かにそうだね。なんだかとても愛される人だったから、しっかり体現してた。ちょっとばかり痴呆があったけれど、誰からも嫌な顔をされなくて手を貸してくれる。そういうのって、90年かけて積み上げてきた「徳」というものなんだろうか。
最近、儒教と法家思想に関しての記述を読んでいて、少し考えていたことがある。法家はルールが第一と言っていて、儒教では治める人の徳が第一と言っている。そしたら、徳ってなんだろうなと。そんなことを改めて考えてみたら、知っているような気になっていただけでよくわからんなと。
今でもまだ、全然理解出来ないでいるのだけれど、祖母の姿を振り返ってみて思った。なんとなく、こんな感じなんだろうなとね。肌で感じる感覚でしかないけどさ。
今日も読んでくれてありがとうございます。身内が亡くなるときは、なにか強烈なメッセージを残していくもんだ。と、誰かが言っていた。ホントにそうだよね。どうもありがとう。