エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 料理屋でいられるために① 2021年9月22日

料理屋で料理を商品として販売するには、いくつかの要素があります。サービスとか設えじゃなくて、料理自体の話ね。

まず最初に、2つに分類する事ができる。日常の代替品としての料理。つまり、自炊をするのが面倒だから代行するような感じ。もう一つは、自宅では食べられない料理。いろんな理由で自分ではどうにもならないものを食べに行くという感じ。商品の付加価値をどこに置くかということで、ざっくりと分類ができる。
この視点で、周りにある飲食店を見てみるとわかりやすいと思う。完全にどちらかに属しているというお店もあれば、両方にまたがっているという店もある。
で、掛茶料理むとうは後者だ。

「自宅ではなかなか食べられない」を実現するためには、どんな工夫があるだろうか。というのが、今日の本題ね。
これも分類していくと「技術・知識」「手間」「コスト」の3つになるのじゃないかな。

まず技術。こればっかりはどうにもならないものがある。器用な人なら握り寿司くらいは握ることが出来るかもしれないけれど、一流の寿司職人が握ったそれとは違うだろうからね。ぼくも寿司を握るけれど、それこそ超一流の寿司職人さんのものは別格に美味しい。掛茶料理むとうで言えば、ふぐの薄造り。通称「てっさ」ね。料理を仕事にしている人でも、そう簡単に出来るような代物じゃないかな。

それから、知識。知識にも種類があるだろうけれど。まず、どうしたらより美味しくなるかという基礎知識もそうだし、数多くの調理方法を知っているということもそうだ。知っているということは創作の幅を大きく広げてくれる。だから、「こんな調理方法があったのか」という驚きにも繋がるし、より美味しく食べることが出来る可能性が広がる。
知識は大事ですよ。例えば「うなぎ」。うなぎはヨーロッパでも捕れるのだけれども、日本ほどは人気がない。なぜかと言うと、調理方法が限られているからだ。基本的にぶつ切りにして焼くか、ゼリー寄せにするかくらいのものらしい。今は他にも増えてきているみたいだけれどね。それでも意識的には、ゲテモノとまではいかなくても、食べたいと思うような魚じゃないのだそうだ。日本でうなぎの人気が高いのは、開いてタレ焼きにすると美味しいということを「知っている」からだ。これだけで断然違いが出る。
もちろん、自分で創作してイノベーションを起こすのも良いけれど、とりあえずは既出の知識をちゃんと学ぶことの方が「早い」わけで。なんなら、先人たちがとっくに素晴らしい調理方法を開発済みなのであれば、それを模倣して、習熟したらアレンジすれば良い。

食材の知識なんかもそうだよね。
同じ「昆布」であっても、いろんな種類があるし、品質の良し悪しもあるわけだ。そういう違いがあるということを知っていて、それぞれの昆布に合った使い方だったり、作りたい料理や味に見合った使い方がある。そういうことを、座学や実践で知識を積み上げていくことで食材を自在に操ることが出来るようになるのだからね。
食材だけじゃなくて、調理器具や調理方法についても同様のことが言える。どういう原理で、どう加熱するのが食材の味を引き立てるのか。過去と現在ではどう変化しているのか。このあたりのことは知っておくだけで、出来上がった料理の味に差が出る。あと、伝統料理なんかは、その成り立ちを知っていると良い。その料理が持っている歴史を知っていると、料理への理解が深まるし、アレンジの仕方なども本質をしっかり捉えたものになる。そういう基礎知識は必要だ。

技術は反復練習するしか無いようなものだけれど、知識は本を読んだり、何度か試しに作ってみるというくらいである程度の精度にはなる。ともすると、華やかな技術に目が行きがちなんだよね。料理人をやっている人もそうだし、カウンター割烹でもお客さんの目を引くのは技術だ。なんだけど、ホントは知識量がなくちゃ幅も深さも伸びていかない。言い過ぎか。伸びにくいくらいかも。

詰まるところ、知識というのは理解なんだよね。料理そのもの、食材、料理の歴史、栄養、扱い方などなど。それも、1人で研究していても到達できない領域があって、それこそ連綿と受け継ぎ積み上げてきたものがあるわけだから、そういうものを通して、「理解」すること。
理解したと思っても、どんどん変遷していくから理解しようとすることを続ける必要があるんだけどね。こんな大変なことは、愛情がないととてもやっていられない。

世の中には感性が鋭くて、なんとなく料理を作ったら全てが美味しいという人もいる。天才と呼ばれるような人たちだ。テレビなどでも紹介されたりして有名になった人もいるよね。もしかしたら彼も最初は感性だけで料理していたのかもしれないけれど、実際に会ったりして話を聞くととんでもない知識量がある人が多い。

ぼくは、料理人として働き始めたのが、業界の平均と比べてかなり遅い。20代前半か、早ければ10代のうちから料理人として働いている人も多い。そのなかで、30代後半に参入というのは相当出遅れている部類だろう。技術は習得に時間がかかるものだから、まず最初に着手したのは「知識」からだったんだよね。いまだに終わる気がしないのだけど。知っていると、何をどうやってどのくらいの努力をすればよいのかが見えるから、時短にもなるしね。

「技術・知識」だけで、長くなってしまったので続きはまた明日ということにしましょうか。ホントは技術の部分もいろいろ書くことあるんだけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。家で食べられない料理の3つの要素。明日は「手間」について書き出していこうと思います。ぼくはサラリーマンだった期間が長いからこそこう思うのだけれど、実は料理以外のことでも同じことが言えるかもしれないと、ぼんやり考えている。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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