エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「料理屋」でいるために② 2021年9月23日

料理に関係ないテーマも多いこのエッセイ。最近はエッセイにたどり着いてから、よくよく読んでみたら料理屋だったということもあるらしいので、意識的に料理に関係したテーマで書いています。
さて、昨日の続きです。「自宅では食べられない料理」を提供するための3つの要素。昨日の「技術・知識」に続いて「手間」「コスト」です。

手間をかければ美味しくなるのはわかっているけれど、そんな手間を掛けていられない。ということはあるよね。ここは「日常の代替品」の分野でも同じことが言えるのだけど。
たぶん、日本人のほとんどの人は丁寧に出汁をひいたほうが美味しいということくらいは知っていると思うのだ。それに、その方法だって本やインターネットでちょっと調べたら簡単に見つけられる。やったら出来るはずなんだとは思うけれど、やらないよね。現代では多くの家庭で「顆粒ダシ」を使っているだろう。
そういう横着をしないところで、日常にはない味になるわけだ。

出汁だと、差が出にくいということもあるかもしれない。トマトなんかは、そのままスライスにして食べても美味しい。だけど、さっと湯がいて皮を剥く。そしてそれを八方だしに数時間つけておくと、トマトの旨味が更に引き立って美味しい料理になる。やってみたら分かるけれど、そんなに技術の必要な料理じゃないのだけれど、いざやろうとしてみるとちょっと面倒だなと感じるはず。生でも美味しいからそれでいいやってことになるもの。これをやる。

煮物を作るときだって、魚も野菜も霜降りしたほうが美味しくなる。けど、あんまりやらないよね。これもちゃんと全部別々にやる。食材の特性に合わせてね。煮付ける時間だってそれぞれに違うから、入れるタイミングも変える。そんなことしてたら、鍋の前から離れられないわけだから面倒なことだ。けれども、これをやる。料理が美味しくなるために考えられる工夫は、手を抜かずに全部やる。
掛茶料理むとうのような会席料理を提供する料亭は、こんなことを数十品作って数皿に盛り込んでお出ししているわけだ。刺身のツマとか、鍋の薬味だとか。どっかで横着してないととてもやってられないようなことをやる。やるからこそ、「自宅では食べられない料理」に昇華する。

手間さえ掛けてあげれば何でも美味しくなるわけじゃないけれどね。ただ、手を抜かずにちゃんと全部やると美味しくなることの方が多いのだ。何が必要で、何が余計な手間なのか、方法や組み合わせなんかも、これらがみんな経験を含む知識の上に成り立っているんだよね。だから、昨日はしつこく「知識って大事だよ」ということを書いたわけですよ。

最後に「コスト」。
例えばラーメンのスープ。こういうものはある程度の量があるから、1人前あたりのコストを低減できるようなものだ。「6時間煮出す」という行為は、1人前だろうが100人前だろうが同じ時間がかかるわけだよね。時間的なコストが同じなのだったら、当然まとめた方が安い。
それから、お寿司。お寿司屋さんに行ったら何種類くらいのネタを注文しますか?10種類だとして、10種類のネタを買ってくるのって結構たいへんなことだよね。半端な部分も出ちゃうしさ。家族4人だとして、マーケットで買ってくるとだいたい端っこ残っちゃうもん。しかも、冊や切り身で買うと割高だし。だったら、寿司屋に行っちゃったほうがお得ってこともあるよね。

料理屋というのは、大量に扱うからこそボリュームディスカウントが効いた状態で仕入れることもあるだろうし、そうじゃないとしても時間や手間のコストを収斂することが出来るから、結果としてコストダウンすることが出来るという側面もあるわけだね。
会席料理を家で作ってみる?全部レシピを公開するから。たぶん、4人前だけ作るってコストが大変なことになるんだよね。食材の種類だけでも数十あるからね。余ると思う。

今日も読んでくれてありがとうございます。別にどうということもない話ではあるのだけど、ぼくらは「自宅では食べられない料理」が主体のお店だ。それこそが非日常を作ることになるし、リラックスやリフレッシュを生み出して、みんなの創造性を高めることに繋がってくのだと思っているよ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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