エッセイみたいなもの

今日のエッセイ ご飯とパンとの対立関係 2021年10月5日

ぼちぼち町が動き出したように感じます。都会に比べると田舎のほうが緊急事態宣言には強く反応してるような気がしてるんだけど、どうなんだろうね。

世の中には、対立構造みたいなものがあって「都会と田舎」は同居することがないわけだ。自ずとそこに住まう人の気質も違ってくるし、動きも違ってくる。都会と田舎は物理的に相反する状態を示す言葉だから、当然同居することがないのだけれど、物事によっては対立構造になったり同居したりすることがある。というのも、それが感覚的なもので成立している場合だ。とまあ、抽象化してみたけれども、意味不明な説明になっちゃった。

たべものラジオの最新シリーズは、「米」だ。米の発祥から、現代に至るまでの流れやその存在感。品種改良や機械化に力を注いだ人たちを取り上げている。こんなことを勉強していると、そもそも主食ってどんな存在なんだろうと考えちゃうんだよ。炭水化物が多いけれど、国や地域によってはそうじゃなかったりするし。日本人がご飯を主食と捉えているのとは、違った感覚だったりする。感覚で決まっているものだからフワフワしてるんだよね。

日本においての、主な主食(文字にすると変な感じがするなあ)は、ご飯。ご飯だけはほぼ全員が「和食」とみなしているよね。で、日本に浸透しているおかずは和洋中問わずにご飯と一緒に食べられる。元々が洋食だったはずの、たとえばトンカツはご飯と味噌汁でセットになるし、ハンバーグやステーキだって違和感がない。餃子も麻婆豆腐もご飯と味噌汁とセットにしても全く違和感を覚えることはないよね。

ところが、主食をパンに置き換えた瞬間に変な感じがしてくるのよ。あくまでも日本人にとってという話だけれど。ステーキとパンは問題ない。だけど、餃子や麻婆豆腐の主食がパンになるとちょっと違和感を覚える人が多くなるでしょ。天ぷら定食がパンとサラダだったらどう?刺し身とパンは?刺し身+主食は寿司みたいな関係のはずなんだけれど、気持ち悪いと感じてしまう人が大半だろうね。
ということは、日本人にとっては「ご飯」と「パン」は対立構造になっているか、それに近いと感じているんじゃないかと思うんだよ。

他の主食だとどうだろうか。例えば、同じ小麦粉を使用している麺類。うどんやラーメン。和食と中華だ。これ、炭水化物オン炭水化物で食べられる人も多いでしょ。ラーメンライス。どっちも主食クラス。しかも、中華と和食のコンボ。ホントは中国にもご飯文化があるのだから、ラーメンライスのライスは中華と捉えても良いのだけれど、日本人はご飯を和食として扱っているように感じる。まあ、ラーメンは日本に浸透しすぎていてもはや和食だけれどね。

日本に浸透しすぎて、日本流に魔改造された料理たちは、気がつけば和食になっている。もしくはなりかかっている。天ぷらなんて、もともとはポルトガルの料理だったわけだしね。日本式のカレーライスは、海外でも日本料理として扱われているし、ラーメンなんてのも同様だ。なんだかうまく整理のつかない「分類」という作業だけど、分類することにもはや意味がないのかもしれない。料理を見ていると世界が繋がっているということを実感するんだなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。パンは自然な浸透の仕方じゃなかったから対立関係になってしまっているのかもね。ちなみに、海外ではご飯とパンが同居出来るんだよ。メインディッシュのステーキにライスが添えとして盛られていて、パンはパンで籠盛りになっている。そんな光景もあるんだ。人間の感覚って面白いなあ。

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武藤太郎

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