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今日のエッセイ モノマネしちゃう癖 2021年10月13日

モノマネに初めてであったのはいつだろう。とにかく子供の頃はモノマネ番組がよくあって、ものまね四天王みたいな人たちも大活躍だった。他のお笑い番組も好きだったけれど、どういうわけかモノマネ番組は好んで見ていたような気がする。特番だったからなのかな。

よくよく考えたら、モノマネってオリジナルじゃないわけよね。オリジナルじゃないのに芸として成立するって、「実はものすごいことなんじゃないか」と思うのだ。ピカソやゴッホの絵をモノマネして描いても褒められないもんね。お前のはオリジナリティがないって言われるだけ。音楽なんかも一緒だよね。だけれども、堂々と「これはモノマネだ」と言い切って芸として成立しているんだからさ。

ぼくが知っているモノマネの一番古い人は江戸家猫八さんだ。犬や猫の鳴き声をモノマネしていたのを聞いていたわけだけど、テレビ番組で笑い転げていたのはコロッケさんや清水アキラさん。これ、なんか決定的に違うよね。モノマネの粋を完全に超えているとも言えるし、ちゃんとモノマネでもある。オリジナルにないエッセンスを付け加えることで、別の芸に昇華しちゃった感じかな。

いつだったか、ぼくもモノマネを褒められたことがある。別にモノマネをして笑わせようとしたことなんかは一度もないのだけど、たまたまそうなっただけだ。会話をしているときに共通の知人が言った言葉を、カギカッコつきで話すことがあるでしょ。その人のセリフをそのまま言うことがさ。時々、それが似ているんだとか。たぶん、頭の中で一度音声を再生しているんだろうね。それをなぞるから、自然と特徴が似てくるという程度のもんだと思う。
癖のある人物が登場する映画やドラマなどを見た後に、なんとなく口調がそっちに引っ張られるような感覚かもしれない。

そういえば、この癖を利用していた節もあるかもしれない。と今気がついた。手わざでも話し方でも、思考方法でも、割と人の癖を読み取ってモノマネしていたんじゃないかな。人前で話すときに、落語やテレビの司会者なんかの映像を音声ごと記憶してしまう。喋ったことは覚えていないんだけど、なんとなく雰囲気をまるごと飲み込んでしまう。そうすると、ナリキリでしゃべることが出来てしまうということが起きる。とかね。

上司の思考方法をトレースすると、サラリーマンをやっているときはとても楽ちんだ。先回りすることが出来るわけだから、いとも簡単に優秀なフリをすることが出来る。というと聞こえが悪いけれど、自分より優れた思考を持っている人の思考をトレースすることが出来るようになると、元々自分が持っている思考と組み合わせたり、アンラーニングしたりして、自分自身をアップデート出来るんだよね。いろんな思考パターンをからだの中に入れておくと、多面的に物事を捉えることが出来る。それから、他人の気持ちを類推することもやりやすくなる。結局、オリジナルになっていくのだけれど、これもまたモノマネが素になるわけだ。

学ぶの語源は真似ぶである。と聞いたことがあるけれど、始めのところはモノマネからなのかもしれないよね。だいたい、ぼくらのような料理人は基本的にモノマネだもん。たくさんの料理をモノマネしてみて、そこからいろんなエッセンスを抽出しながら、少しずつ少しずつ自分らしさが備わってくる。それも、自分でも気が付かないうちにね。
こういうことを考えると、守破離というステップに沿って「守る」をモノマネとして捉えることが出来るかもしれない。基本を学ぶってそういうことじゃない?だから、始めの内はとにもかくにもオリジナリティを出さずに、一回完コピしたら良いと思うんだ。まあ、ぼく個人の考え方なんてどうでもいいのだけれどね。ド素人が初めてのときにオリジナリティ出そうと思ったって、ろくなものにはならないだろうから。

今日も読んでくれてありがとうございます。たべものラジオも、実はモノマネで始めたんだよ。中身はぜんぜん違うんだけど、フォーマットは完全にCOTENラジオ。だって、日本一のポッドキャストだもん。まずは一生懸命勉強して、同じ構成でやってみる。そこに少しずつ自分を乗っけていけばいいかなと。気がついている人もいると思うけど。

Posted in エッセイみたいなもの

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