エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 当意即妙ってカッコいいと思っているんだけど 2021年10月15日

当意即妙な受け答えというのは、聞いていて心地よいし憧れちゃうんですよね。臨機応変に、受け取ったことからパパっと思考を巡らせて回答をするという感じなのかな。憧れがあるから、訓練することである程度は出来るようになってきているけれど、属性としてはそっちじゃないんだろうなあ。

何か課題があったとして、その場で思考を巡らせてパパっと答えるのって出来る人には難しくないんだろうけど、その特性を持ち合わせていない人には難しいんだよ。なんとなく見せかけで出来るように見せることはかのうだとは思うけどね。大変なの。

割と熟考するタイプなんだと思うんだよ。こうやって文字起こしをしながら、自問自答してみたり。誰かと対話しながら思考を深めていったり。対話も、話しているうちに整理できて自己完結することが多いから、結局自問自答に近いのね。だから、自分で理解して発信できるようになるまでにメチャクチャ時間がかかる。ちゃんと使えるようになるには、もっと時間がかかる。
思考方法だったり、概念だったり、ロジックだったり。なんでもそうなんだよね。新しい事業が動き出すまでに、何度も何度も似たような思考の道をたどってみて、その都度自分の思考をアップデートしていって、あるとき「これだ」ってたどり着く。だから、何日もかかるんだろうね。

一度そこにたどり着いたら、これを抽象化する作業をしていく。他の事例でも同じ考え方で解を導き出せるかなあって。そういうのを何度も何度もしつこくやっていくと、ある程度はパターンが出来るじゃん。自分の中で使いやすい道具としての思考回路が埋め込まれる感じ。これが出来たら、当意即妙ふうに会話をすることが出来るようになってくるんじゃないかなと。あくまでも、ある程度でそれっぽいというだけだけど。

だからね。自分でも思考が遅いなと感じるんだ。「ちょっと聞いてよ。こんな気付きがあってね」と弟に話しかけると、サラッと「こういうことでしょ」と切り替えされることがある。彼のほうがレスポンスが早いタイプなんだろうね。そういうときは「うっ」と詰まってしまうのだ。
弱点の一つとして、事例をいろいろと喋ってしまうことが多いんだよね。なんせ、熟考している間にいろんな事例を持ち出しては咀嚼しているわけだから、いつの間にか脳内に事例が溜まってしまう。うっかりすると、それを話のネタに喋ってしまうのよ。で、わりといらない情報だったりする。

ついでに、ぼくのようなタイプの人は紙とペンを活用するのが得策だと思っている。数学で言えば計算式を書き出して問題を解くような感じでね。暗算するのって大変じゃない。だから、片っ端から書き出すの。書いて矢印でつないで、整理して理解する。で、いくつかの解釈にたどり着く。
ずーっと長いことぼくのデスクの脇には、常にガリ版とペンがあった。サラリーマンのときだって、目の前の事業を進めるために長いこと相棒だった。あと、広い面積が必要なときはホワイトボードを使ってた。今でも、ガリ版は目の前においてあるけど、最近はタブレットの手書きモードが優秀なので、そっちを使うことが多いかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。当意即妙。思考レスポンスが早い人には憧れるんだけど、それはないものねだりなのかな。無理せず、自分にあったやり方で脳みそを活用していくことにするか。気付くの遅いよなあ。先日友人に言われてから、もしかしたらそうかもって思い直したくらいだもん。

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武藤太郎

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