エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 第33回東海道シンポジウムin掛川宿日坂宿大会 振り返り④

「第33回東海道シンポジウムin掛川宿日坂宿大会」の振り返りシリーズです。まだ続くんかい。

大会が33回も続いているって、相当すごいことなんだよね。だって、30年以上前に土山宿の青年が集まって「まちづくりのためには、まず足元を学ぼう」って始めたことが、あちこちに広まって続いているって凄くない?
でね。発起人の人たちがまだまだ現役だから、ぼくらはその理念を直接聞くことが出来るし、この間どんな変遷をたどってきたのかを知ることが出来るんだけどさ。ちょっと問題も感じているんだよね。というのは、形として継承されているものが少ないのよ。

「今まではどんな感じでやってきたんですか」って聞くと、いろいろ語ってもらうことは出来るんだけど、資料みたいなもので見ることができない。フォーマットもない。だから、初めて開催する地域では「聞く」から始めなくちゃいけないんだよ。いや、もちろん聞くことで理念が伝わるのだから大事なことなんだけど。それだけだと、カタワになっちゃう気がしてね。
だからこそ、こうやって「見ようと思えば見られる場所」に、文字にして残す必要があると思って書いているんだけどさ。

どんな予算組みをして、資金集めはどうしたのか。組織はどうやって編成したのか。どんなひとがいて、誰が何をやったのか。大会の構成はどんなで、それぞれのパートが表現するものはなんだったのか。細かいところだと、どんなものが必要でどうやって準備したのか。そういった事例は、後続の人たちにとっては知りたい情報だと思うんだよね。
今挙げたような細かな情報は、実際に打ち合わせの場で使用した資料がある。これを、事務局で管理してもらえばそれで済むと思う。いま、ぼちぼちまとめているから、そのうち提出します。
ここでは、語り部として語るべき物語を語っておこうと思っているところだ。

あと、パンデミックの状況にもかかわらず、大会開催を推し進めたのはなぜか。ということを書いておく。実は、今年もパスしたらどうかって話は理事会からも出たし、観光協会や現場のメンバーからも出たんだ。だけど、ここだけはぼくのワガママで「今年はやる」とお願いした。

理由は2つ。
1つ目は継続性。NPO自体が強力な組織ではないから、長く途切れさせてしまうことは今後の継続性に影響を与えることが考えられる。このまま尻窄みに消えてしまうことさえありうる。これを回避したかったことが一つ。
2つ目はインパクト。こんな状況下であっても、みんなの知恵を集めればなんとかなると思っていたんだよね。で、やりきっちゃえば、少なくともNPOに所属している会員には「掛川」を知ってもらうことが出来るじゃない。未来への布石になるよね。未来への布石という意味では、掛川で開催した内容が注目されやすければ、これをひとつのフォーマットとして次回以降に活用する環境を作り出せないかとも思った。掛川モデルみたいな感じでさ。
昨日のエッセイに書いた理念は、理事長や前理事長の描いたものと一致していたわけだから、それの表現方法を一定の形式にしておけば、困ったときの柱になるでしょ。やる気のある人達がいれば、ドンドンオリジナリティを発揮して構築すればいいし、そうではない地域の場合はフォーマットに沿って開催したら良い。その認知度を時間軸で浸透させるには、ちょうどいい環境なんだよね。逆境で開催された大会は記憶に残りやすいから。

結構打算的なことも考えて、今年こそ強引にでも開催するタイミングなんだろうなと。

今日も読んでくれてありがとうございます。ホントは、リアル開催だったらということだけど、懇親会も街歩きも企画してたんだよね。みんなのアイデアと情熱がつまった企画だったから、実現したかったよなあ。懇親会が一番の楽しみだし、交流することでより学びが深まることもあるでしょ。来年か再来年かわからないけれど、通常の大会とは別に「懇親会だけの掛川日坂大会」を臨時開催出来るかもね。そのためのインパクトでもあったりする。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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