エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 文化の日って一体なんだ?

今日は「文化の日」です。ほとんどの人が「祝日のひとつ」として捉えているだけで、本来の意味を知らないんじゃないかな。ぼくも知らない。ということで、ここはひとつ調べてみることにしよう。

元々は明治天皇の誕生日としての祝日だったんだね。明治節という祝日。なんとなく「明治節」という言葉だけは聞き覚えがあるけれど、それが今日とは結びついていなかったな。
昭和23年になって、これが文化の日に変わる。憲法改正に伴って国民の祝日に関する法律が施行されたときに、変わったらしい。なんでだろうね。そのまま明治節でも良い気がするのだけれど。実際昭和天皇の誕生日は、一度「みどりの日」になったけれど今は「昭和の日」だもんね。深堀りして調べたら、いろいろと当時の事情が出てくるかもしれない。という気がしてきた。
調べないけど。ラジオの原稿で調べ物ばっかりしているからね。こんなところまで手を出していたら時間がいくらあっても足りないもん。興味はあるけれどね。

文化の日は、現在の憲法が交付された日でもある。この憲法が「平和と文化」を重視していることから「文化の日」と制定され、「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」として祝日になっている。なんだか、ふわっとしている。どういうことだ?そもそも文化ってなんろう。

憲法第25条第1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」

文化的なとある。文明的ではなく文化的。芸術、科学技術、学術、教育、コミュニケーション、文化財、文化遺産、歴史的建造物や景観。こういうものが文化なのかな。文化そのものだったり、それを喚起するものとして考えたら良いのだろうか。あと、アイデンティティも文化だよね。日本文化って言う場合、日本らしさみたいな印象があるからさ。
なんだろうなあ。もやもやしてきたぞ。

そもそも、憲法第25条は「生存権」について書かれているんだよね。そこに、文化を持ち込んでいるわけだから、物質的なものよりも精神的なものを大切にしようという意図があるんだろうね。きっと。なんだか、これもまた憲法制定のときに、文化に対する概念だとか思い入れがあって、条文に差し込まれたんじゃないかという気がしてきたよ。憲法そのものよりも、制定にまつわる出来事や人たちの話をかき集めたら、文化って何を指しているの?ってことがわかるかもしれない。
これ、調べる?かなりハードな気がするんだけど。

さらっと上辺を調べた限りでは、文化国家論という概念が出てきた。どうやら、戦後は文化国家を目指すという論調になっていたようだ。芸術、社交、読書、修養みたいなもので、人格価値を高められるような文化を享受できる状態というのを言いたかったみたい。「人格的生存権」であって、「最小限度の肉体の生存」とは違うぞと。
ここから更に遡ると、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトというドイツの政治家かつ言語学者にまでたどり着くことが出来る。どうやらこの辺りに「文化国家」という概念の源流がありそうだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。文化そのものについては、雰囲気でしか感じられないけれど、文化について考える機会にはなったかな。なんとなくだけど、教育や教養みたいな要素が強い感じがするんだよね。そういう感覚でも良いのかな。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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