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今日のエッセイ 「つまらないものですが」の本意はどこにある? 2021年11月13日

贈り物をするときに、よく「つまらないものですが」と言います。聞いたことあるよね。つまらないものを渡すんじゃないよ。という笑い話もあるのだけれど、この「つまらないものですが」ってどういうつもりで言っているのか。

「つまらない」というのは、面白くないとか退屈だとか、劣っているとか、そんな意味合いで使われる。この場合は「取るに足らない些細なもの」という意味に置き換えられるかな。取るに足らない些細なものなんかもらっても、誠意が伝わらないような感覚を持ってしまうと、日本語が成立しなくなっちゃうのだからややこしい。例えば、外国でおなじような表現をしたらおかしなことになっちゃうんだろうなあ。

取るに足らない些細なものという、モノに対する評価は「評価」なので、相対的に比較すべき対象が存在する。贈り物をするときに「つまらないものですが」が定着したのは、「貴方様に比べれば」という言葉が前にあるわけだ。比較対象を「貴方様」にしているので、どんなに良い品物を持ってきても些細なものに見えちゃいますよ。ということなんだよね。
「キレイな夜景ね」「うん。でも君には負けるよ」
昔のトレンディドラマで使われた定番のセリフと同じことだ。
「大した夜景じゃなかったな。」「え?」「君に比べたらさ」
そんなふうに言い換えたときに、最後のセリフを消してしまうと意味がわからなくなっちゃうんだけど、そのままにしてあるのが、「つまらないものですが」ということか。
デートで、夜景のきれいな場所について「大した夜景じゃないね」と言ったら、びっくりされるよね。いろんな意味で。

じゃあ、なんで「つまらないものですが」が成立し続けているのか。それは「暗黙の了解」があるからだ。受け取る人も、この文意を知っている。教養の範疇として。それに、贈り物をしてくれる人が本当にしょうもないモノを選んで持ってくるわけないと信じている。だから成立しちゃうんだよ。言語っておもしろいよね。
良い品物を選んできましたから、凄いでしょ。みたいな感じで渡すのもなんだか品がない。という感覚があるんだろうしね。理屈じゃなくて、感情的な問題だ。

そんな分かりづらい表現なんかしなくてもいいじゃん。もっとはっきり言えばさ。「あなたにとっては物足りないかもしれないけれど、一所懸命選んだものです。」って。
ということを言われたことがあるんだけど、これはこれで居心地が悪い感じもあるんだよね。ズバリと言いすぎて品がないかもなあ。

実は、こういった現象は当たり前のように起きている。ストレートに、かつ、端折らないで伝える。そうすると、話がまどろっこしいんだよ。既にお互いにわかっている事柄だったら、その部分はカットして会話が進む。そんなことは、例えば社内の打ち合わせでは当たり前でしょう。この「社内では伝わる」みたいな仲間意識が、日本全国に広がっているのが「つまらないものですが」ということだ。
身も蓋もないことを言ってしまえば、言語や文化ってそもそもそういうものだしね。

逆に、社外の人と会話するときはちゃんと伝わるように言い換えが必要。外国の人だったり、異業種の人だったり、他の学校の人だったり。いろんなケースがあるけど。つまり、ケース・バイ・ケースで変えれば良いわけだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。これって言葉だけじゃないんだよね。料理を提供するときにも、共通認識がある人とそうでない人がいるんだ。それも、かつては共通認識だったけれど、認識してくれる人口が著しく減っていくという場合もある。澄まし汁は具を食べるだけじゃなくて、汁を飲むものなんだよ。それすらも共通認識から外れて来てしまっている。ごく一部だけど。文化の維持ってどうしたもんだろうね。

Posted in エッセイみたいなもの

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