エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 効率化しないこともあって良いのだよ。 2021年12月5日

効率化ってなんだろうなあ。基本的には、世の中のビジネスって効率化じゃないですか。特に資本主義経済が加速していくなかでは、効率化がより顕著になったんだもんね。

売上を上昇させることよりも、実はコストを下げることのほうが手っ取り早い。というのは、どんなビジネス書を読んでも大体書いてある。のかな。あんまり読まないから詳しくはないけれど、人づてに聞くとそうらしいんだ。まあそうだよね。とは思う。
お客様の総数を増やして、単価を上昇させてということはビジネスでは必須なんだけれども、一方でより少人数で同じ効果を発揮できるようになったほうが利益率の改善には大きなインパクトがある。

例えば、客数が50のときに、5の稼働が必要だとする。客数が150になったら稼働はどうなるか。15必要かどうかはわからないけれど10~20くらいの幅で稼働が上昇するよね。業種や業態によって違うだろうけれど。これが、稼働が5のままで客数150まで対応することが出来るようになるのであれば、コストを抑えたまま売上を伸ばすことが出来るわけだ。
めちゃくちゃアタリマエのことを、書いている。

ここからが肝心のことなんだけれど、このコストを落として効率化することの全てが正なわけじゃないんだろうなあ。という気がしていてさ。
いや、もちろん効率化はやるんだよ。そのポイントをどこに置くかってことが大切なんじゃないかと思うようになったんだ。

例えばさ。魚を三枚におろすとか、大根を桂剥きするとか、長時間煮込みする鍋の番をするとか、名人がやるレベルを担保したまま機械化出来るのであれば、間違いなく効率がいいじゃない。基本的なミスも起きないわけだし。それもあちこちの場所で、いろんなタイミングで稼働させると人的ロスも発生するし、エネルギーロスもあるから、まとめて一箇所で行うほうが効率がいい。だからセントラルキッチンが誕生していったわけだよね。冷凍加工業者や、一次加工業者が生まれて、それを仕入れたらある程度の仕込みが終わっているということもあるわけだ。

なのに。魚は自分とこの店で処理していますとか、桂剥きは手作業ですとか、なんだかそういう非効率な文脈の方に惹かれる人って多いんじゃないかな。そういうところに良さを感じると言うか。どう?
この正体ってなんだろうなあ。ゆらぎ?ミスするくらいのことがあっても、そういうゆらぎがある方が面白いのかもなあ。ミスってのは言い過ぎか。毎回が同じように見えていても、同じじゃない。そういうファジーさ。同じなんだけれど、世界でたったひとつみたいな。

明治から昭和初期にかけての建物では、ガラス窓が現代ほど真っ平らじゃないものを見かける。昔は職人さんが手作業で平らに伸ばしていたからね。ほんのり歪みが入っている。これが「味がある」とみなされているんだよね。現在は。機械で真っ平らにしたものが「スッゲー!最新じゃん」という時代があったのだとは思うけれど、ときが経過してみると手作業のほうに「味わい」を感じてしまうようになったってことだよなあ。

ここには、なんだかストーリーのようなものがあってさ。機械には出せない「なにか」が人を惹きつけているのかもしれないよね。効率化を進める部分は進めるけれども、世界観とかストーリーに関わる部分ではあえて非効率な部分を残していくこと。そのバランス感覚が必要なんだろうなと、おぼろげに思っています。

今日も読んでくれてありがとうございます。手書きのお手紙の味わい深さって、やっぱりいいよね。ただのアナログ懐古主義とは違って、ちゃんと味わい深さを感じるという意味でさ。そういうところなんだろうなあ。

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武藤太郎

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