エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 具象と抽象を行き来しながら考えるクセ。 2021年12月6日

課題解決が好き。というか、目の前に課題があると解決したくなる性分ではある。と言う表現をすると大げさなんだよなあ。なんというか、もつれた糸があったら解きたくなるという感覚に近いかもしれない。モヤモヤする。パズルのピースを見つけ出してきて当てはめるとか。

それも、ちょっと変わった解き方をするらしいよ。つい最近まで無自覚だったんだけどさ。いろいろと根本をひっくり返しちゃうみたい。そんなつもりは全く無いのだけどね。

目の前に具体的な課題があったとするじゃない。数年前に創立周年記念のパーティーをやるという話があって。その時に外部の人も呼ぶんだけどね。外部の人を呼ぶと、おもてなしする必要があって内部の人がゆっくり楽しめないよねって。かと言って、外部の人にも来てほしいよね。そうなると、普通はどうバランスを取るかっていう話や、割り切るってことになるらしいんだ。いや、わからないんだけれども。そういうことが多いんだって。だけど、2回やれば良いんじゃない?って思ったのよ。変なのかな。披露しておもてなしを一所懸命やる回と、そういうことを一切排除した楽しむだけの回。それぞれにやれば良いんじゃないかって。

会社のことでもそうなんだ。一旦は目の前の具体的な課題を見つけて、具体的に解決策を探すの。だけど、いつの間にか思考が抽象化されていって、気がつくと違うことを夢想していたりする。飲食店の経営をしていて、目の前の売上だとか効率化だとかそういうことを考えているのだけれど、気がつくと業界とか社会とかに気が行ってしまう。さらに抽象化されて、概念みたいなものになってしまう。

どういうコンセプトで考えていくと、よく回るのか。社会がって視点でね。それを基に目の前の課題に置き換えると、具体的な解決策が違うものになることがあるわけ。まるで明後日の方向へ進んでいくように見えるんだけれど、俯瞰視点で見ると筋が通っているとか。ま、そればっかりになると直近の経営が苦しくなっちゃったりするんだけどさ。

具体と抽象を行き来するっていうのかな。そういうのが好きなんだろうね。良いのかどうかは知らないのだけど、なんか好き。サラリーマンのときも、学生の時もその傾向があったらしい。というのは、昔からの友人に言われてわかったことなんだけど。そう言われてみると、その傾向は今の経営に携わるようになってより顕著になったのかもしれない。
これって、どうなの?良いこと?悪いこと?
いや、良し悪しで分別することがナンセンスなのか。じゃあ、どっちでも良いか。

抽象的な世界のことも、目の前の作業も。どっちもつながっている。そう考えると、課題解決に使えそうなヒントは全く違う世界で見つけることが出来るんじゃないかと思う。全く違う業種や、国や文化、それから時代、状況などなど。呆れるほどに違う世界から、ヒントを見つけ出すことが出来る。抽象度が高いもののほうがヒントとして使いやすい。だからこそ、いろんな世界の具象を抽象化してみると良いのではないかと思う。逆に、具体的なことはその世界でしか通用しないものが多いから転用しようと思っても無理があるだろうしね。
経営の神様と言われた松下幸之助が実践したことを、まるごとそのまま現代社会に置き換えて通用するかどうかは疑問だよ。水が行き渡るように物を行き渡らせるという方針から、薄利多売のシステムを作り出したわけでしょ。現代ではそれは通用しない。だからむしろ、抽象化されたモノゴトの方がとても勉強になる。

今日も読んでくれてありがとうございます。既存のシステムがうまく機能しなくなってきているという感覚があってね。そのシステムの中で課題解決しようとすると、シンドイってアラームがなることがあるんだ。だから、システム自体を見直すことが必要なんじゃないかな。いろいろと。

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武藤太郎

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