エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 会話とキャッチボールと着地 2021年12月13日

ご来店いただいたお客様との会話。親子での会話に混ざらせてもらったのだけどね。中学生の娘さんが「EUのような仕組みをアジアに導入するのはどうか?」というお題で、お父さんと話していたんだ。

え?と一瞬面食らったんだけど。どうやら学校の授業で取り扱った内容らしいのだ。こういう授業をやっている中学校って良いなあ。我が母校もいいじゃない。そして、その授業を面白がって食事中にお父さんと対話している娘さんも素敵じゃない。

お父さんから、不意に「どう思う?」って話を振られて、見解をすこし喋った程度だけどね。

授業では、ディベートまでの流れが教育のプロセスだろうから、「賛成」「反対」の立場を表明して議論を成立させるという仕組みを取る。それはそれで素敵だな。けれど、娘さんと対話しているうちに、どっちとも言えないよなあ。みたいな着地になってくる。シュンペーターのイノベーション理論よろしく、別の解を探し始めちゃってるんだよ。

初めのうちは「反対」とか「賛成」というどちらかの立場を取る。
それは、対話によって思考を深めるための「ツール」だと思ったらいいのだ。よくよく話をしていくと、「なるほどそういうメリットも見えてくるよね」とか、「あー、そこは完全にリスクだよね」という部分に出会う。
そこから、「じゃあ、どうするのが良いのかな」と続いていくと、何かが生まれる。その場では生まれなくても、次の「アイデアに繋がるタネ」が心にポンと置かれる。

このときは、娘さんとお父さんで対話が進んでいて、ぼくは外野としての「情報と見解」を提供したに過ぎない。なるほど、そういう背景と視点もあるよね。分母を増やしただけ。
ひとつ間違えると、否定しあってしまいそうな意見を言い合う環境なんだけれど、この親子は本当に素敵だったな。それぞれの見解を分母を増やすイメージで、良い意味でキャッチする。相手を言いくるめようみたいな空気は微塵もない。キャッチして、解釈を伝えて、それをまた相手がキャッチして。なるほど、見事なキャッチボール。

投げるのもうまいけれど、ふたりともキャッチのレベルが高いよ。会話って、キャッチする能力も結構必要なんだよね。投げる方も受ける方も上手な人がやると、キャッチボールはとてもスムーズ。

対話を通して、理解が深まって、賛成や反対という2者択一ではない別の答えを探しに行く。
こういうの、好きだなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。料理とは全く関係ないけれど、素敵な家族の時間にちょっとだけ混ぜてもらったので、書きたくなっちゃった。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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