エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 学びだって立派なコンテンツだろう。 2021年12月18日

引き続き観光政策の話。
昨日は、「行政単位での観光政策って、どこかで限界があるような気がする」ということを書いた。そもそもの話だけど、行政というのは守備が本職だからね。攻めの部分は苦手なシステムだったりするからね。仕組みのカスタマイズが必要。

ちょっと補足すると。会社の財務で考えるとわかりやすくて。固定費とか福利厚生費みたいな部分が、会社の守備の部分。で、営業やマーケティングや企画開発が攻めの部分。で、市町村の守備をメインに構築されたシステムが今の行政区分なんじゃなかろうかと思うわけだ。攻めも出来るのだけれど、ちょっとシステム的に苦手。その苦手部分をマンパワーでやっている感じがするんだよ。
叱られるかな。こんなこと書いたら。間違ったことを言っているかもしれないから、今の所のそう思っているということね。

少し仕組みをカスタマイズしたら、もう少し攻めの部分を厚くすることが出来るとは思う。コミュニケーションの中からアウフヘーベンが生まれるのを待つくらいの感覚だけど。

昨日書きかけたことで、続きを書き出してみるね。

人が旅をするとして、それが遠くじゃなくて近場だとしても、なにかしらを感じるためにあるのじゃないかと思う。どんなカテゴライズが良いのかわからないけれど。とにかく、良い気分になるとか、豊かな心持ちになるとか「感じる」ことが、目的。目的って言葉が好きじゃないのだけれど、良い単語が思いつかない。なんかないかな。語彙力が足りない。

アクティブ系、リラックス系、という感じでカテゴライズされることがある。感情で言ったら、ワクワクドキドキがアクティブで、ゆる~くまったりがリラックス系かな。癒やしとも言う。どっちも良いよね。どちらの要素もひとつのコンテンツに含まれていて、それぞれに比率が違うという感覚もある。大自然の中でスポーツ。ね。比率はわからないけれど、どちらもありそうでしょ。

この2つの要素と並列で、他の要素があっても良さそうだなと思っている。例えば学びとかね。

勉強というと、どうやら学生時代の苦しい勉強を思い浮かべる人も多いみたい。だけど、なにかの知に触れることそのものは楽しみである。というのは、現代人には備わっているのじゃないかと思うんだ。幼い子供を見ていると、新しいことを知るのが楽しくてしょうがないという雰囲気があるから。

「たべものラジオ」は「大人の自由研究」くらいのイメージでやっているのだけれど、それでなくても学び自体は楽しみを与えてくれるコンテンツじゃないかと思うんだ。別に何の役にも立たなくたって良い。ただ、知って嬉しいとか楽しいとかの感情が湧くだけでいいじゃん。そういう楽しみ方もありそうだよ。

日本人の旅行は、諸外国に比べて歴史文化が多い。と言われている。確かになあ。よくわからないけれど、有名なお寺やお城行くもん。で、へぇ~ってなってそれで終わり。マニアックなところなんかは、行ってみるけれどよくわからんままに出てくる。
別に良いんだよ。ただ、建物や風景をみて面白がったらそれで。
ただ、もうちょっとやりようが有るんじゃないかとも思うんだよね。

今日も読んでくれてありがとうございます。以前、妻と観光でお城に行った時に、時代背景やら物語をふざけて話したことがあったのね。そしたら、いつのまにか僕の話を後ろで聞いて楽しんでいる観光客がいてさ。その時は看板の説明文がわかりにくかったからなんだけど。そういうところなんじゃないかと。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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