エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 何かを多面的に紹介する。 2021年12月30日

昨日までの話をまとめると。ひとつのモノや事柄を、いろんな言葉で説明していく。そこから派生する様々な思考。についてだった。それから、身体的動作を絡めるとどのように思考が動いていくのかについても、考えてみた。
哲学的な話が多めの数日間。いろんな書籍などを参考にしながら、ぼくなりの解釈で書き留めてみたわけだけれども、読んでくれた方々はどのように受け止めただろうか。どうだろう。

さて、「いろんな言葉でひとつのモノを説明する」については、料理では比較的頻繁に行われている。説明というよりは、紹介するという表現の方が近いかもしれないね。「○○づくし」といった料理がまさにそれだ。掛茶料理むとうで言えば、ふぐのコース。これは、フグという食材をいくつかの料理法で表現しているものだよね。

紹介と表現したほうがしっくりくる、というのは、誰か人間の視点で読み替えたものじゃないからだろう。あくまでも食材を中心にとらえている。食材が元来持っている味わいをアレンジしていって、食材を多角的に楽しむ行為。そんなふうに思えるんだ。
刺し身を食べて感じていた印象が、焼いてみたらまた違った味わいに感じられる。揚げてみたり、鍋にしたり、蒸し物やソテーなど、それぞれに違った印象を与えてくれるわけだね。そのどれもが違った表情を見せてくれるのだけれど、それでもやっぱりフグはフグだとわかる。そういうのが楽しいよね。という提供スタイルだ。

同じように、人間も多面的である。と、また大仰に構えてみると面白い。1人の人間であっても、いろんな側面がある。多くの場合は自己矛盾を抱えているのが人間であると思えば、時に正反対のことを言ってしまうこともある。そういったことを色々見ていって、人間って面白いな。このひとも楽しいなって思えるのかもしれないよね。
時間が経過することで、ぼくらの思考だってやることだって変わるじゃない。それに、どんな環境で誰と相対しているかでも変わるよね。家庭の一員であるときと、会社の一員であるときと、外の社会にいるときでは、多分違う人間のように振る舞っているかもしれない。これを完全に同じに揃えることは難しいんじゃないかな。それでも同じ人物なんだから、面白いよね。

料理と人間をごっちゃにして語るけれど、料理は組み合わせる食材によって役割が変化することがある。例えば牛肉。ステーキのように単体で楽しむときは確実にそれが主役だよね。だけど、パスタの具材になったら準主役くらいになるだろうし、牛肉じゃないけれどラーメンのチャーシューみたいな存在だったら、脇役になる。バターと合わせるのか、ソースなのか、ポン酢なのか。パンなのかご飯なのか。そういった組み合わせによって、見せてくれる表情が違うのはよくあるよね。
これをそのまま人間社会に置き換えるのは乱暴かもしれないけれど、概念としては共通する部分があるのじゃないだろうか。ある意味、社会の縮図のようなものが料理という世界観にも現れていると考えることも面白い見方かもしれないよ。

今日も読んでくれてありがとうございます。たべものラジオは食材や料理の魅力を、調理ではない方法、つまり言葉で紹介するコンテンツ。そういう表現になるのかもしれないなあ。さて、何故に年末に差し掛かってこんな話題になってしまったのか謎である。文体がなぜか固いのも謎だ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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