エッセイみたいなもの

今日のエッセイ たべものラジオってどんな番組だろう。 2022年1月3日

2022年1月3日

食べ物の世界を面白く探求する「たべものラジオ」。昨年だけで、47話が配信されたわけだけれど、楽しんでもらえているかなあ。

歴史の話が多めだと言われているのだけれど、まあ確かにそうか。

ぼくの感覚としては、学校で習うような歴史を語るつもりはないんだけどね。ルーツをたどっているという感覚。ストーリーを調べて紹介しているつもりではいるんだよ。

例えば、一人の人を理解しようとする時に、その人の来歴を見ることがあるよね。過去を知ったところで、その人のすべてが分かるわけじゃないけれど。どんな場所で生まれて、どんな体験をしてきて、その都度どんな行動をしてきたのか、そういうことがわかると助けにはなるじゃない。

今生きている人間の場合は、比較的背景が想像しやすい。
同じ時代の日本に生きているのだから、十年くらい世代が違っていてもわかる。どんな社会かということがね。

ところが、たべものの来歴を見ていくと人間なんかよりもずーっと長いストーリーがあるわけ。そうするとね。ぼくたちが簡単に想像しにくいような社会背景をくぐり抜けていることになるんだよ。だから、その背景もセットで紹介しないと、なんだかよくわかんないなあってことになっちゃうんだよね。

だから、それぞれのポイントで社会背景を紹介しているの。
結果的に各時代の歴史を説明するはめになっちゃうのだ。

僕自身、社会的背景を勉強しないと理解できないからさ。もし、ぼくもリスナーさんも歴史マスターだったら、たべもののストーリーだけを語れば良いってことになるのかな。中世ヨーロッパとか、ぼくもわからないところがあるから、もう誰か教えてって思うことも多いんだよね。

たべもののストーリーを知らなくても、べつに美味しく食べられれば良いんじゃない?

そう言われたら、そりゃそうなんだよ。
別にどうだって良いという人にはどうだって良い。

ただ、知っているとちょっと楽しさが増えるということもあると思うんだよね。「へぇ、そんな奴だったんだね~。おもしろい」ってね。単純に面白がれたらいいかな。

あとね。ちょっと大仰な話をすると。現代日本以外の異文化を知ることは、社会的にも意義があるんじゃないかと思うんだ。他の国の文化もそうだし、過去の日本ですら現代人の僕らから見たら、まったく違う社会文化だったりするわけじゃない。同じ食べ物でも捉え方が違ったりさ。

そういうのって、異文化交流になるんだと思うのよ。身近なたべものをひとつのモノサシにして眺めていくと、一緒な部分と違う部分が見やすいのでは?と思っている。
知って受け取るだけ。受け入れなくても良い。俯瞰的に見るだけで良い。そんな役割もあるのだと思う。

今日も読んでくれてありがとうございます。さあて、今年もがんばりますよ。ラジオ。あ、もちろん料理もね。料理がおまけかよ。んなこたぁない。たべものに関わるすべてが、みなさまの楽しみのひとつでありますように。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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