エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 美味しいの定義とか。 2022年1月23日

日本料理の特徴がおぼろげながらに見えてきた。日本料理を提供している身でありながら何を言っているのだ。

日本料理の特徴を見るためには、日本料理以外のことを知る必要があるのだ。今までは知らなかったし、今でもわかったとは言えない。それでも、少しばかり勉強してみておぼろげに「こうじゃないかな」と思うようなことは想起できるようにはなったのだ。

日本料理は引き算である。
実は、この言葉は何度も耳にしたことがある。聞いたことがあるという人もいるだろうか。最近になって、やっと腑に落ちる感覚を得るに至ったところなんだ。

西洋料理も中国料理もひとくくりにしたら乱暴だけど、あえて大陸系の料理としてみる。それに相対するカタチで日本料理を見てみると、たしかに引き算だと言えるんだよなあ。
大陸系料理は、複数の食材を組み合わせて別のものを作り上げることを最上だと「定義」している。それに対して、日本料理は素材の味を活かすことを最上だと定義している。

例えば、バイオリンやビオラ、クラリネットにフルートといった、それぞれに違った楽器をひとつの楽曲に合わせる。そうすることで、単体では表現できなかったものを「作り上げる」感覚。これが大陸系料理かな。
逆に、周囲の雑音を取り除いて、バイオリン自体の雑音も取り除いて、バイオリンの美しいメロディーを取り出す。そして、そのメロディーを引き立てるための最低限の音だけを合わせる。といったようなことが日本料理と言えるかもしれない。

もちろん、どちらの手法も日本料理の中に内包されているし、大陸系料理にもある。けれども、どちらを「最上」と位置づけることに決めたのか、に違いがある。
最上。つまり、目指す頂きが違えば、そのために磨かれていく技術や思考方法が異なってくるわけだ。

おそらくは日本料理のなかでも最もシンプルな「刺し身」という料理。下処理をすることで雑音を取り除いて、ひたすらに単音の美しさを磨き上げていく。そのために、究極までに包丁が進化したし、ただ「切る」という行為を突き詰めたわけだ。ぴーんと張り詰めたような、静寂の美。

大きな料亭だと、刺し身を担当する料理人は「板前」「花板」などと言って、上級職である。だから、一番下っ端ですら六方剥きや桂剥きを練習するし、それが出来ないとステップアップできない。フレンチのシェフに教えてもらったのだけれど、付け合せで使われる人参をラグビーボールのように剥くのはシェフの仕事なのだそうだ。難しいので、下っ端にはやらせないと。
習得する技術の順番や、優先度が全く違うのが面白い。

もしかしたら、宗教概念の違いがここに影響しているのではないかと思っている。日本古来の神道は性善説だ。生まれた瞬間がもっとも美しくケガレのない状態。生きていくうちにケガレをまとってしまうから、精進して削ぎ落としましょうという考え方だね。一方で三大宗教は性悪説。原罪や煩悩を持って生まれたのだから、精進していきましょうと。

善と言ってしまうと、感覚的に違うような気がするんだよなあ。美意識のほうがピンとくるかもしれない。そうだね。美意識の置き方に違いがあるのかもしれないなあ。研ぎ澄まされたそれは、どちらも美しいのだと思うんだけどね。

今日も読んでくれてありがとうございます。結局精進するのだし、たどり着く先はどちらも「美味しい」なのだ。思想や定義が違うと、これだけ違いが生まれるというのはとても興味深いと思っているよ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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