エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 美味しいものって残らない。 2022年2月12日

もう随分と昔のことだけれど、バンドをやっていたことがある。当時の仲間の中には今でも続けている人がいて、たまに演奏を聞くことがあるのだけど、良いなぁって。

純粋に音楽が良いなあってのもあるし、演奏を楽しんでいる彼らが素敵だなぁってのもある。それから、羨望にも似た気持ちもある。だったら、やればいいのにね。

ぼくはドラムをやっていた。なんだか、目立つと思ってね。

学校の友達同士で、なんとなくバンドやろうぜって話になって、それで始めたんだけど。音楽の素養があるのは、キーボードやってた友達と歌を歌っていた友達の二人。あとは全員ド素人。楽器に触ったことがあると言えば、音楽の授業でリコーダーや鍵盤ハーモニカを習ったくらいだ。

せっかく始めるなら、それなりに目立つことやりたいと思ってたんだよね。だって、バンドってかっこいいなとか、モテそうだなって。そんな気持ちで始めたんだから。

どういうつもりだったのか、ドラムなら目立つだろうと思っちゃったんだよね。ギターじゃなくてさ。だってデカイし。見た目も音も。やりはじめたら全然そんなことなかった。

ドラムが目立つのは、ミスした時だ。リズムが狂ったとか、叩きそこねたとか、そんな時に注目を浴びる。たまに、いい演奏が出来たとしても、それに気がつくのは音楽演奏をやったことがあるとか、興味があるという人くらいのものだ。なんとなく聞いていて楽しんでいるという人は、ほとんど気が付かない。

そんなことに気がついたのは、ドラムの演奏自体を好きになってからのことだった。

なんとか目立ちたいと思って。目立ちたいというのも違うか。ちょっとくらいは認めて欲しいと思ってさ。わかりやすく派手なことをやったりもした。なんだけど、それも回数が多いと敬遠されるよね。うっとうしい。

実は、ほとんど印象に残らないくらいのほうが、良いドラマーだなってことになる。

ぼーっとしていると、あんまり意識されないんだけど、じっくり味わってみるとドラムが良いプレイで支えていたんだなって。そんなくらいの加減が丁度いいんだろうね。

結果として、「良い曲だったね」という感想になる。全体としてね。どこそこのプレイが良かったとか、そういうことはあまり気にされないもんなんだ。それは、分かる人だけがわかる。気がつくためのスキルが必要だということは、もちろんあるけれど、そもそもそこに注意を払わなければ気が付かないようなものなんだ。アンサンブルって、そういうものなんだからさ。

美味しいモノって、だいたい覚えていない。たまには、印象深く記憶に残ることもある。だけど、ほとんどの場合は「美味しい店」だという感想になるんだよね。

人に紹介する時は、「あの店」であることが多いもんね。ピンポイントで言うのは、それが料理に関心がある人だ。コースだと、何を食べたかすら覚えていないことが多いんだ。半年、1年と時が経つにつれてその傾向は強くなる。

そういうもんなんだろう。とぼくは実感をもって考えている。友人と一緒に食事に出かける時、旨いは大切だけれど、実はそれが本当の目的では無いということが多い。もちろん全てではないけれど。飲みに行こうとか、ご飯行こうって誘う時、本当の目的はコミュニケーションだったりする。その手段としての食事だ。手段を目的の一部に入れて誘っているわけ。

今日も読んでくれてありがとうございます。掛茶料理むとうが目指すスタイルって、こういうところに根っこがあるんだよね。忘れられちゃうくらいで丁度いい。所々でインパクトのあるプレイを挟むということもあるけれど、全体としてまとまっていればいい。主役は、食事という空間そのものだ。というのが基本。要望があれば、いろいろやるけれどね。

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武藤太郎

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