エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 土いじりをするかのように。 2022年2月14日

すっかり息を潜めたように見える観光事業。ぼくも観光協会の一員として、これまでに色々とチャレンジはしてきたのだけれど、コロナウィルスの感染拡大のたびに中断。なかなか難しい時だよね。

そもそも、人流が減っているのだから。

少し前までは、自分で直接行動することが多かったかな。自らが旗振りをしながら、仲間を集めて、でもって企画も自分でやるし動くし。まあ、それはそれは大変だこと。

効率が良くないんだよ。

効率が良くないっていうのは、まず自分ひとりのパフォーマンスなんてたかが知れているってことがある。あれもこれもやってたら、とてもじゃないけれど時間も能力も追いつかないもの。それから、一緒にやる人たちが自分ごとになりにくいっていうのも大きいよね。比較的受動的な思考をさせてしまいがちだからさ。具体的な部分だけを手伝ってもらうような感じになりがち。

こんなふうにはしたくないな。と思いながらやってしまっていたんだよ。

最近になって、やっといい感じに立ち回れるようになってきた。

環境設計。うまい言葉を知らないから、こんな言葉になっちゃうのだけど。まぁ、だいたい意味があっているのかな。

例えば、花や野菜などの植物を育てるとして。基本的には土作りが仕事の大半を占めることになる。植物が目を出すのも、成長するのも自分の力だ。太陽や水や土などの環境をうまく取り込みながら、自分の力で成長していく。

環境を整えるというのは、農家さんの仕事と同じだと捉えている。

観光まちづくりでも、こんな社会にしたいという思いがある。その思いだって、1人だけじゃなくて複数の人と話すことがとても多い。信頼できる人。つまり、自分自身の頭で考えて行動できる人と一緒に考えると、いろんな思いが現れてくる。三人寄れば文殊の知恵だ。

そして、どれだけの人がどういう行動をすれば、何が起きるのかを予測検討する。外れ値があるのは当然だし、基本的にピタッと当たることはないんだけどね。予測に基づいて、行動したくなる状況を想像しまくるんだ。妄想かも。そのなかから、できそうなことをやってみる。予測も想像も知恵を貸してもらうし、具体的な仕掛けもほとんどぼくじゃない誰かのもの。思いついちゃった人は、結局自分で行動する事が多い。オモシロイと思っているからさ。

うちには小さな子供がいるから、とても良い練習になる。子どもを練習台にしちゃって良いのかね。ああせい、こうせいと言うよりも、子どもが自発的に動きたくなるにはどうしたら良いかと考えて、整えてやる。そんな感じのほうが、お互いに良いかなと思ってさ。

なんだか、人をコントロールするようでちょっと気持ちが悪いと感じるかもしれないね。だけど、やりたいと思っている人や、こうしたら良いというアイデアを持っている人やがいて、行動するきっかけに出会っていないという人も多いんだ。

だから、動きやすいように環境を整えて提供するというのも良いのではないかね。

今日も読んでくれてありがとうございます。料理屋の仕事も実際似たようなもんだと思っている。食事会を楽しむのも、楽しくするのも主役はお客様。その手助けのように環境を整えるのがぼくらの仕事。料理も含めてね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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