エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「たべものラジオ」こぼれ話。喋る人。 2022年2月15日

2022年2月15日

「たべものラジオ」のこぼれ話です。

結構たくさんの人から、「あんなに喋ってたら疲れるでしょ。大変だね。」と言われる。たしかに、体力は使うのだけれど、そこまでしんどいという感覚がないのだよね。何本分かまとめて収録をしていて、多いときだと4本かな。あまり気にならない。一緒にパーソナリティをやっている弟のほうが、先に疲れてしまうことのほうが多いかもしれない。ほとんどぼくが喋っているのにね。

一番労力がかかっているのは、しゃべるよりも前の準備かな。事前に勉強して、それを整理して、構成して、一度文章に書き起こして、ラジオで喋る前にもう一度ラジオ向けに構成し直す。

自分で面白いと思う部分を見つけ出して、いろんな角度から事象を捉えてみるというところが一番大変な所だけど、まぁ一番面白いところだ。

収録の際は、雑に言ってしまえば吐き出している感じなんだよね。溜めて溜めてどーん。みたいな感じ。だって、オモシロイと思っていることをずっと喋らないで我慢しているんだよ。喋りたくてウズウズしているわけ。だから、収録で喋ってしまうとスッキリする。

ホントはもっと表現や言葉選びや、気をつけなくちゃいけないところはたくさんあるんだろうけどね。

そもそも、ほっとくとずーっと喋っている。よくもまぁ、そんなに喋ることがあるよねって言うくらいに、だらだらと話している。そういう人間なんだ。

人のうわさ話とか芸能人とかは、全然興味がない。そういうゴシップの話題になると、そのゴシップに対していろんな反応をしている」人間を観察する」ほうが面白くなっちゃう。

話題が尽きないのは、会話の相手にもよるのだけれど、違うところの引き出しが壊れているから。

メタファーとしては微妙なんだけどさ。経験とか知識とかそれに伴う思考とか、あれやこれやがタンスにしまってあるとして。その引き出しがゆるいんだよね。めちゃくちゃ滑りの良いキャビネット。だから、一つのキャビネットを開けると、その振動で他のキャビネットが勝手に出てきちゃう感じ。

別のメタファーでいうと、ツイッターなんかで使うハッシュタグかな。ひとつのハッシュタグで検索すると、想定外のものまで拾っちゃうことがあるよね。そして、投稿には複数のハッシュタグがついている。Aで検索したら、BやCもタグ付けされている投稿に出会ったり、DやEがタグ付けされている投稿だったり、細く繋がっていく。今度は、関連検索としてBで検索してみて、Fが出てきて。きりがないでしょ。

というのが、たぶんぼくのおしゃべり。

当意即妙に、旨いことを言ったり、すぐに考えをまとめたりというのは、案外苦手だ。リアクションが下手なのは、読み込み速度が遅いのかな。レスポンスの前に、キャビネットの中をざっと検索しちゃうんだよね。情報だけじゃなくて、自分の思考の痕跡も。

エッセイでもそうだけれど、割と自問自答で思考を深めるということをする。だから、今までの思考のストックが結構たくさんあって、そのなかから近似値をすくい上げてきて、目の前のことと紐付けてみたりする。だから遅いのだろうか。スパッと切り返しが出来る人に憧れるよ。

今日も読んでくれてありがとうございます。そんなんだから、全然違う会話をしていても、たべものラジオの内容を喋っちゃうこともあるんだよね。それもうラジオで聞いたよ。と言われることもあるし。うっかり未放送回の内容を喋っちゃったりね。雑談の収録のときが一番気を使うかも。そういう意味ではね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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