知っている人も多いけれど、日本の労働生産性(労働者一人あたりの生産額)はG20の中で、最下位。こりゃまいったね。ただでさえ、少子高齢化が進んで一人あたりの負担が上がるっていうのに、これじゃもたないよ。というのが「生産性向上」を掲げている理由の一つだ。
ところで、労働生産性を業界別に見たことあるだろうか?
国策として、労働生産性を向上しようという話になっているのだけれど、その対象がどこにあるかを知らないと議論が噛み合わないのだ。生産性が良いジャンルをもっと伸ばすのか、それとも効率の悪い業界を良くするのか。という話ね。
ちなみに、労働生産性が低い業界は小売業と飲食業。おもいっきり足を引っ張っている。製造業なんかは世界基準なのだ。そう言えば、車の買い替え頻度が昔とは違うもんね。車の価格は世界基準になっていっているけれど、国内の収入は上がっていないということか。まぁそうなるよね。
飲食業界を陽のあたる場所にしたい。とは思うんだ。日本中の飲食店が淘汰されると、食文化が停滞することは目に見えている。日本だけじゃないけれど、食文化の歴史を紐解くと、家庭と外食の両輪で現在に至っていることがよくわかる。片輪になると、どうなるんだろうか。手のかかった料理や、集約することでしかまともに生産が出来ない料理というものもあるだろうからね。
飲食業界にも、生産効率が良い業態はあるよ。めちゃくちゃわかりやすのは専門店。例えば、ラーメン屋さんもそうだよね。昭和の頃までは、ラーメンを食べたいと思ったら中華料理屋が一般的だったわけだ。そこへ行けばラーメンもチャーハンもギョウザもあるし、その他色々な中華料理を楽しむことが出来た。総合料理だよね。もちろん、その頃からラーメン専門店もあったよ。けれど、中華料理店の方が一般的だったのよ。
その頃と比べると、ラーメンだけの店が増えたよね。運営と経営を考えると、どう考えたって専門店の方が効率が良いもの。
別にラーメン屋に限った話じゃなくて、生産コストを考えるとだいたいどの業界でも一緒。専門店化しちゃったほうが、生産効率は良い。それも、人気商品になれば良い。牛丼チェーンなんかは典型的でしょ。
この発想は新しいものじゃない。スシ、蕎麦、天ぷら、うなぎという江戸料理の代表も専門店。納豆売りに、豆腐売り、煮豆屋、みんな専門店なんだよね。外食産業は基本的に「専門店」から生まれてきたわけだ。その方が効率が良いから。
一方で、産業とは別の文脈から誕生して産業化していった業態がある。料亭を始めとした総合料理部門ね。あれもこれもとやるのだけれど、それらの組み合わせやストーリーを楽しむような感じになる。単品での販売も行うけれど、パッケージングされた料理のカタマリの販売。音楽に例えるならば、アルバムになるのかなあ。曲順だとか、曲ごとの間だとか、外装だとかも含めての作品。専門料理に比べて、生産コストが高くなるんだよね。色んなものを何種類も仕入れるもんだから、そりゃコストがあがる。まとめ買いしたほうが安い。運用面だってそうだ。必要な機材も多くなるし、広さもそれなりに必要だし、人的コストも跳ね上がる。
ビジネスというのは、高付加価値と効率のバランスが基本だと言われている。特に、資本主義の観念から言えば、効率化は必須なのだ。けれども、構造的な効率化が出来ない業態もあるんだよね。いや、しちゃったら価値がなくなると言ったほうが良いのかな。
加えて言うなら、「完成品だけに価値があるわけじゃない」という思想が底辺に流れている。言葉を介さずに、献立や味付けから「ははぁ、今日はこういう方向で来たか」とか、「ほう。気の利いた遊びを入れてきたな」とか、感じ取る遊びでもあるのだ。現代風に言えばプロセスエコノミーということになるのかな。料亭というのは、もともとそういうものなのだ。
非効率なものの中に、光るものがある。そういうのが楽しいといって、そこに対してお金を払う。そういう感覚なのだ。そういう文脈だからこそ、古い時代はお大尽だけの楽しみだったんだろうね。庶民には金銭的にも、時間的にも、素養的にも無理があったんだろう。あ、これはあくまでも過去の話ね。
この感覚が、もっともっと広がるにはどうしたら良いのだろうね。ただの贅沢。じゃない意味での、娯楽としての食事。エンタメとしての食事。
今日も読んでくれてありがとうございます。掛茶料理むとうは、そのための実験室という感覚がある。企業である以上は利益を追求することは諦めないけれど、同時に両立するためのすべを模索しているんだ。たべものラジオもその一環。