エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 成長と進化と変化と。 2022年3月27日

学ぶとか成長するということは、進歩なのか進化なのか。語意の通りなら、当然進歩なんだよね。

進化は英語でevolusion。進化の他にも展開だとか、少しばかり変化のニュアンスを含む。辞書で進化を調べると「生物が長大な時間をかけて変化すること」とある。進化は変化。そういう解釈をしてみる。

生物的な変化は、主に身体のことを指しているだろうから、進化は長大な時間がかかる。だから、ホモ・サピエンスはその誕生からほとんど進化していないということになるんだよね。今回は、身体以外の話をしようと思っている。

というのもね。

例えば、中世以前の人類っていうのは、多産多死の世界なんだ。子供が生まれてもまともに成長できる可能性が低い時代。基本的には一度の出産で一人が生まれてくるわけだけれど、それでも何人もの子供を生む。その中で生き残った子供だけが、次の世代に繋がっていく。そのくらい食糧事情も社会環境も生きるのが大変だったということなんだけどさ。

動物園とか水族館に行くと、それぞれの動物の説明が書かれている。飼育員さんが説明をしてくれることもある。そのなかで、動物にはそれぞれに出生数に固有の特徴があると説明されている。魚類なんかは、かなりたくさんの卵を生むわけだし。ほとんど似たような種類の動物でも、子供の出生数でライフスタイルが大きく変わるらしいというようなことだ。

この視点で捉えると、人類は状況が大きく変わってきてるよね。大家族で子供が10人なんて言ったら、地域で有名になるレベル。テレビで取り上げられるかもしれない。10回出産したら、10人の子供が成長するわけだしね。ほとんどのケースでは、そんなに多くないだろう。平均出生数も2を下回るくらいだから。

そうすると、子供への愛情のかけかたも断然違う。死なないで育ってくれるから。ちゃんと学習機会も用意するし、ちゃんと幸せを願って行動する。これ、当たり前だと感じているかもしれないけれど、比較的最近の行動原理。中世以前に遡ると、ほとんどの人間はそんなことしていないしさ。

体そのものは変わっていない。手が一本増えたり、目が増えたり、ということはない。けれども、思考とライフスタイルが大きく変わっている。前進なのか後退なのかはわからないけれど、とにかく変わった。ある意味「進化」であるかもしれない。

出生数の話を例に挙げたけれど、他にもたくさんの変化があるよね。

思考とライフスタイルが変化する。人類社会は長い時間をかけて変わってきたわけだ。ところが、ここ20年程度の短い時間でも大きく変化しているよね。思考の大きなムーブメントは過去の揺り戻しみたいに行ったり来たりかもしれないけれど、それでもかなり多様化した。インターネットやスマートフォンの登場で生活習慣もかなり変わったんじゃないかな。これもある意味では進化なのかもしれない。

さて、冒頭の学ぶに戻る。学んで自らの頭で考えて、そして実践して体にインストールする。そうすると、結果的に考え方が変わるよね。とある問題に直面した時に、以前ならAという選択をしていたけれど、もっと複眼的に俯瞰的に捉えて、BやCやDの選択肢を選ぶかもしれない。選択が変わると、当然行動も変わるし習慣も変わっていく。

学んで成長するということは、変化することだとするならば進化と解釈することもできそうだよね。逆に変化をしないということは、いくら本を読んだり体験したりしても、それは成長していないということになるのか。さて、どうかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。あいつは変わった。というのは、マイナスのイメージがつきまとうセリフなんだろうけれどさ。実は、とっても良い褒め言葉なのかもしれないね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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