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今日のエッセイ 「たべものラジオ」こぼれ話。冷蔵庫は平和の象徴? 2022年4月1日

「たべものラジオ」のこぼれ話です。

しばらく前のことになるけれど、「冷やす技術シリーズ」が配信された。冷凍冷蔵技術ってスゴイよね。そのおかげでコールドチェーンが成立していて、遠く離れた土地の野菜や魚や肉がちゃんと届く。ある程度鮮度を保ったまま届く。冷蔵庫のおかげだ。

だから、「冷蔵庫のおかげで世界平和が保たれている、という側面もあるんじゃないか。」「食料をある程度は均等に分配できているから、奪い合う必要性が下がったのではないか。」という話をした。

これを逆から見た話。

冷蔵庫は、まあだいたいの家にある。家族のいる家庭であっても、一人暮らしであっても、ホテルにも各部屋にあるからね。なかには、近所のスーパーやコンビニがマイ冷蔵庫になっていて、自宅にないという人もいるかも知れないけど。

一般的な冷蔵庫は鍵がついていない。当たり前と思えば当たり前。なのだけれど、歴史上「食料と食料を生産する土地」を奪い合ってきたことを考えると、とても素晴らしいことなのだ。食料庫である冷蔵庫がなんとも不用心とも言える。

基本的に家の中にあるからね。だから冷蔵庫に鍵をかけるまでもないということか。だけど、金庫には鍵をかけるでしょ。食料の価値が相対的に下がったことになるのかな。仮に誰かに奪われても、なんとかなる。また買えばいいくらいに思える。そう考えると、社会がとても裕福なんだろうね。

それに、基本的に自宅に他人が入り込まないということを信用している。だから、自宅の中はけっこう無防備。それでいいと思うんだけどね。

冷蔵庫は、電気が通っていないと稼働できない。現代では当たり前だ。ということは、電気を安定供給してもらえる社会だということになる。実はとても稀有な時代なのだろう。現代人は当たり前過ぎて気がついていないだけだ。ぼくも含めて。

冷却技術が世界の平和を保っている。ということと同時に、家庭の冷蔵庫は平和の象徴であるとも言えるんじゃないかな。ということを思ったというだけの話だ。

冷蔵庫がもたらした弊害もある。礼賛するばかりじゃない。温暖化の原因のひとつにも数えられているし、長期保存が出来ることで過剰生産を生み出した側面もある。冷蔵庫に甘えた結果、コンビニやスーパーの大量廃棄が問題となっているのはこのことだね。

過剰生産は一般家庭にもある。余ったら冷蔵庫に入れておけばいい。これは事実なんだけど、そこに甘え過ぎちゃうことってないかな。油断する。ふと気がついた時には消費期限を過ぎていたり、食材が傷んでしまっていたりする。そういう油断。

「親方。すみません。ほうれん草がだめになっちゃいました。」と報告をしたところ「なっちゃったじゃない。お前がダメにしたんだ。」と叱られたことがある。ちゃんと食材管理をしなかった。傷んでしまう前に料理で提供することも、まかないで食べることも出来たはず。なのに、そのほうれん草は何者にもならずに、ただただ捨てられる。

便利なものは、有効に活用すれば社会を良くしてくれるものである。道具として、システムとして。一方で、その道具を扱うのは人間だ。人間がどのように扱うか。便利なものは、便利になった分だけ油断を生みやすい。そのことは肝に銘じておかなくちゃいけない。

今日も読んでくれてありがとうございます。不便をデザインすることで、人間の行動を、社会の流れを動かすことが出来るっていう発想もあるよね。マイナスに見えて、実は社会に貢献する不便さ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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