料理人の業界にも、その業界に働く人にしかわからない言語が存在する。どこの業界にもあるのだと思っているのだけれど、まぁお茶目な言葉が多いこと。という認識はあまりないかもしれないけれど、他業種と比べるとちょっと独特の言葉なんじゃないだろうか。
ネギを打つ。なんとなくわかるといえばわかるかもね。青ネギを小口切りにするということを「打つ」って呼称している。よくある笑い話で、ホントに打ってしまったというエピソードを聞いたことがある。包丁で切っているのに「打つ」って、改めて言われると不思議だ。
多分、ネギを切る時に「トントン」と包丁とまな板が当たる音がすることから、「打つ」という表現につながったんじゃないかな。想像でしか無いけれど。ただ、ホントに美しい仕事をする人が「ネギを打つ」と、ほとんど音がしない。スッスッと、なめらかなもんだ。
ちなみに、ちゃんと「打つ」には、独特の包丁の動かし方になる。刃物は前か後ろのどちらかにスライドすることで切ることが出来る。和食の場合、スライスは前にスライドすることが多いかな。けれど、「打つ」ときは後ろへスライドすることに近い。
腕全体は真下に動くのだけれど、手首を微妙に調整することで引き切りにしてる。手元に近いほうが先にまな板に到着し、包丁の先端がまな板に到着する頃には手元側は上に向かう。ということなのだけれど、細かな動作を言葉で表現するのはとても難しいものだね。
ところで、若い頃に「薄く切るように」と言われたことがある。桂剥きみたいな剥きもの、それから刺し身みたいに板状になるものだったら「薄く」という表現に違和感が無い。けれども、ぼくが言われたときは「ネギを打つ」ときだったのだ。
直径1mmにも満たない細い食材。一般的な表現だったら「細かく」と形容するところだろうね。だけど、調理場では薄くということがある。たしかに微細に観察すると、薄くなっている。ここが肝心なところなんだよね。縦横比が1対1だとしても、ネギの直径が0.5mmだったら細く見えてしまう。それはそれで充分に及第点なのだ。ただ、指導の意図を汲み取るなら、それだけ細かったとしても「薄い」という形容が最適だと思えるほどに切りなさいということだ。
そもそも、こんなに薄く切ることに意味があるのだろうか。美しいと言うけれど、それはただの技術自慢ではないのだろうか。という疑問もある。そういう意識で仕事をすることもあるけれど、一応ちゃんと意味があってやっているんだけどね。始めの頃は分からなかったな。
ネギが細かいと、主たる食材とよく絡む。まずはこれが大事。そもそも薬味なんだからさ。香りや苦味や辛味を、ふわっと付け足すためにあるわけだ。これがちゃんと絡まなければ、味として分離してしまうもの。
この延長線上にある話として、邪魔をしないという意識もある。薬味が大きくて存在感を強調すると、主役の存在を妨害してしまいかねない。しっかり繊維を細かく裁ち切っておけば、必要な香りなどだけが際立つよね。歯ごたえなんか無視できるくらいにしてしまえば、邪魔しないで済む。そういう感覚なんだ。
これをちゃんとわかった上でコントロールすることが肝要。なんでも薄ければそれが正解ってわけじゃない。あえて厚く切ることが良いケースだってある。うちの場合だと、雑炊に投入するネギは厚く切るかな。雑炊のパンチに負けないインパクトが欲しいし、すこしは歯ごたえがあったほうが良いからね。
鍋のときは、ケースバイケースだけど。比較的細かくすることが多いかな。あんまり邪魔したくない。蕎麦なんかは特にそうだよね。麺をすする時に、しっかり絡んで欲しい。だから薄切りにする。
意識しないでいると気が付かないけれど、実は細かなところまで色々とやっているのよ。
今日も読んでくれてありがとうございます。こういうことって、他の業界もあるんだろうな。気が付かれないくらいの心遣い。気づいてくれたら、それはそれで嬉しい。だけど、気付かれないで、それのお陰でなんだか良い感じっていうのが醍醐味なんだろうな。