エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 学生時代に身に着けたモノは、今使えるのか。 2022年5月3日

2022年5月3日

最近になって、学生時代の教科書のお世話になっている。たべものRadioの原稿を書くために調べ物をするようになったのがきっかけではある。それだけじゃなくて、学ぶことが面白いんだよね。学生時代に何を勉強していたんだろうなあ。

高校時代はそこそこには勉強していたはずだ。当時、先生から「君たちの大半の人にとって、人生で一番頭が良い時期がこの3年間になる。」って言われたのだけれど、たしかにそうかもしれない。どのくらいの人が当てはまるかわからないけれど、大学で真剣に勉強していない人は、大学受験の直前が最も学力が高い瞬間になっているだろう。

どんなつもりで、勉強をしていたのだろうか。良い大学に入って良い会社に入れば幸せ。そういう風潮がなかったわけではない。だけど、ぼくらの高校時代には、本気でそんなことを考えている人はほとんどいなかった気がする。たぶん、なんとなくやっていたのだ。テストがあるからとか。やらないとカッコ悪いとか。一番じゃなくてもバカと思われたくないとか。上位にいた人は落ちたくないとか。まぁ、いろいろだ。そのどれもが、未来の生活がどうこうではなくて、現在の生活に直結する評価軸だからやっていたに過ぎない。そんなに遠い未来を見据えた学生は、どのくらいいたのかな。

未来のことは、別に不安じゃなかったな。可能性がいっぱいだとしか考えていなかった。やりたいことを、そのときに一生懸命取り組めば、なんとかなると思っていた。根拠なんかない。漠然とそんな感じがしていたのだ。ノウハウを知っていたわけでもないし、テクニックを身に着けていたわけじゃない。学校での勉強が、将来役に立つなんてことは微塵も考えていなかったしね。

振り返ってみると、多少は役に立っている。問題や疑問に対しては、我流で取り組むことが多かった。その分効率は悪いのだけれど、教えてもらったルート以外でも結果にたどり着ければそれで良いじゃないかという感覚だ。

最短で解にたどり着けるルートがあるとする。次に早いルートがあって、それ以外にもいくつかのルートが有る。数学でも物理でもそうだし、英語や現代文でもそうなのだ。ちょっとずれるかもしれないけれど、個人個人でモノゴトの捉え方にはクセがあるから、ホントにいくつものルートがあるように見えるのだよね。

基本的には、最短ルートが最も良いということになる。けれども、そのルートの思考方法がイマイチしっくりこないということもある。理解はできていても、イマイチ好きじゃない。2番めのルートは、ちょっと手間がかかるし、スマートじゃないように見えるかもしれない。それでも、2番めのルートのほうが体に馴染むし、理解が深いということもある。ずっとそれをやっていると、いつのまにかそのルートのほうが早く解を導き出すことができるようになるということもあるんだよね。それに、得意になった分だけ精度も高いから、実は間違いも少なかったりする。

ベクトルでも複素数でも関数でも、見方はどれでも良い場合もある。深く理解するために、物理の力学を持ち込んでも良い。そういう感覚ね。

こういう感覚は、後々社会人になった後でも出番があるかもしれないな。課題を一度抽象化してみて、それを詳しい分野に置き換えて考える。思考を進めたところで、今度はもう一度もとの課題に戻す。もちろん差分があるから、その違いを修正していく。つまり、メタファーで解釈するという行為そのものだね

他はあんまり使えていないんだよなあ。基礎知識は使っていることもあるんだけど、社会で活用できている感覚がなかったんだよ。最近まではね。勉強し直したらたくさん宝物が詰まっているということに今更気が付いた次第だ。

今日も読んでくれてありがとうございます。あの時ちゃんとやっとけばよかったな。とも思わないではないけれど、今だから理解できることもあるんだよ。それにさ。あの頃の知識が歯抜けになっているからこそ、今学ぶことが面白いじゃない。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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